(古市小学校根際の)八木用水説明板など

  安佐南区古市2-21-1の古市小学校(八木用水側校門)前に設置されている「八木用水説明板」です。
八木用水と地域のかかわり       1995(平成7)年4月 広島市安佐南区
この水路は、八木用水とよばれ、江戸時代の中頃、明和5(1768)年に南下安(現在の安佐南区祇園)の大工・桑原卯之助らの努力によって完成したと云われており、現在は安佐南区の八木町鳴から長束2丁目太田川放水路まで約14kmあります。
当時、この辺り一帯では、稲作中心の農業が行われていましたが、慢性的な干ばつの被害にあい、水不足の解消が大きな問題でした。このため、卯之助は周辺を調査し、測量したうえで計画を立て、農民と一緒になって水路を完成させたもので、農業の発展に大きく寄与したと云われています。現在、水路周辺には多くの家が建ち、水路の役割も農業用水だけでなく下水路も兼ねたものとなっており、昔のような綺麗な水の流れや魚の泳ぐ姿が見られなくなりました。このような多くの先人の苦労により完成した八木用水は、永い年月に渡り時代の移り変わりを見守りながら私たちの生活と深い関わりを持ち続けている水路です。いつの日か昔のような綺麗な水が流れる水路となるよう、これからもみんなの手で大切にしたいものです。
八木用水の頁を編集している事を交流ウォーク探検隊の時に話をしたら、(広島市内の)小学校では4年生のときに八木用水の事を学ぶようになっているのですよと、交流ウォーク・藤井先生(元・小学校校長先生だった)に教えていただいたのです。わたしは小学校4年生が学んでいる内容は知りませんが、彼らの6倍近く生きているのですから6倍とはいかなくても、学んでみなくてはと思っている所です。
2008年八木3丁目を訪ねた時に、梅林小学校根際にあった八木用水の説明板を撮影し頁に編集していました。
2010年長束1丁目から八木用水終点まで八木用水を歩いてみたのですがその時はこのような説明板には気が付きませんでした。9月になって緑井7丁目附近から八木用水つたいを巡った時、その日の最後の方になった時に、古市小学校裏門辺りで同じ説明板が設置してあり、その根際に「広島市祇園町外二ヶ町土地改良区」設置の掲示板がありました。そこにはここで取り上げた梅林小学校四年生が描いた八木用水の絵が掲示してありましたので、独立したこの頁を編集することにしました。
掲示板にあった「広島市祇園町外二ヶ町土地改良区」をみてわたしは「ひろしまし ぎおんちょう■■ にかちょうとちかいりょうく」とは?思い、2月に八木隧道をみたとき『ぎおんちょう「がい」』とは何だろうと思っていたのです。
2010年9月9日、ここ古市小学校でみたとき「町外」とは、「ぎおんちょうのほか二ヶ町」と読めばすんなりと意味が通じるなと思ったのです。■■は『ほか』ではと(わたしは)日本人でありながら、恥ずかしいことに国語が苦手だったのです。今更、己が自身の不勉強を嘆いても遅すぎですが『鐡は熱いうちに打て』という言葉を噛み締めています。
 10.10.05裕・記編集

10.09.09撮影
「小学生(4年生)が八木用水を描いた絵」と「八木用水説明板」

10.09.09撮影
広島市安佐南区役所設置の「八木用水と地域のかかわり」説明板

10.09.09撮影
広島市祇園町外二ヶ町土地改良区設置の掲示板に貼り出されていた「梅林小学校4年生の絵」



「八木用水関連」編



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   古市小学校根際の説明板・八木用水の絵
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「旧安古市町」編





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