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安佐北区亀山に大正時代に設置された「加計・飯室分かれの道標」です。 |
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左ハ川筋今井田ヲ経テ 加計ニ通ス |
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右ハ大毛寺経テ 飯室鈴張ニ通ス |
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大正十三年六月 建之 藏本嘉吉
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*大正13年=1924年 |
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亀山公民館のWeb公開資料によると
『この道は人馬の通れる程度の狭い道でしたが、1907(明治40)年当時亀山村大毛寺 から出た(広島県)県会議員・西川正平氏の尽力で現在の道幅に拡張されました。
それ故に、近年までこの道路が「正平道路」と呼ばれていました。 』との紹介があります。 |
今(2011年6月)回、(原爆投下時落下傘落下地点)原爆犠牲者之碑を訪ねる事にしましたので、JR可部駅からの道すがらの史跡を訪ねようと、亀山公民館のWeb資料を参考に計画をたてました。
その中にこの「河戸の道標」の紹介がありましたので、誓立寺を訪ねた後この道標をみて撮影しようとしましたが、この辺りとしては車の量が多い三差路で車が途切れるのを待って撮影しました。 |
2017年3月4日可部線が延伸されJRあき亀山駅が開業しましたので、3月8日あき亀山駅からJR河戸帆待川駅まで歩いてみたのです。
そのとき再びこの道標をみた時、以前の印象と違っていたのです。角にあった民家が解体され更地になっていたから周りの印象が違っていたことがわかりました。また、編集中に道路にある消火栓のマンホール蓋以前お画像を見ると四角の蓋だったことに気が付きました。 |
18.03.02.更新 11.08.02.裕・記編集 |