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東広島市西条町寺家に送検されている「長福寺」です。 |
神亀年中(724-729)の草創と伝えられ、平安末期ごろから寺勢が衰え無住となりますが、 天元年中(978-983)の頃、西条四郎正直が再興しました。
16世紀の終わり頃から番僧や百姓によって、現在は近くの人々によって維持されているそうで、みると「板橋親和会館」となっており地域の人によって維持されていました。 |
長福寺薬師如来収蔵庫 昭和62(1987)年2月竣工 |
木造薬師如来坐像 広島県指定重要文化財 昭和60(1985)年3月14日指定
木彫十二神将立像 東広島市指定重要文化財 昭和57(1982)年5月22日指定 |
長福寺に伝わる寄木造、像高85.5cm、膝張り68.5cmの仏像で、膝裏や胴裏削りの手法、漆塗り下地の布などの痕跡から室町時代初期(15世紀)の作と推測されます。顔面や胸肌、手先などに艶消し金色を塗り、法衣の無文黒色仕上げは室町時代の仏画にも表われる当代の彩色表現法で、髪際が下がらず直線的になるのは当代の上期の作の特徴です。 |
八本松公民館の東広島市原爆死没者慰霊碑、美術館などを見学した後この長福寺を訪ねたのですが、わたしが使用している地図にはお寺のマークも寺名も記述がありませんでしたが、東広島観光協会の資料で住所を事前に調べていましたので、近くに来た時農作業をしている方の手を止めてしまいましたが、長福寺の場所を教えていただきた迷うこともなく着くことができました。無住という(これから)全国各地に出現するであろう状態を地域の人々の力で守り次の世代に受け継ごうという明確な意思を感じことができる今回のこのお寺への訪問でした。
また、信教の自由という憲法に記されたことは、信仰心を無くしなさいと云っていることではないと注釈がいるのではとこの頁を編集しながらもわたしは思っています。 |
09.07.02裕・編集 |