なかじょうしはちまんじんじゃ
中調子八幡神社

  安佐南区川内に鎮座している「中調子八幡神社」です。
祭神:応神天皇、帯中津日子命(仲哀天皇)、息長帯日売命(神功皇后)。
由緒:不詳。『芸藩通志』に「八幡宮、黄幡神社 並に中調子村にあり」と記されているそうです。
1981(昭和56)年枯死したという(境内にあった)老松で作ったという「御神木」額の揮毫が荒木市長(在任1975-1991)だったので撮影しました。
マップに紹介ある「下井手樋門改造記念碑」とおもわれる石碑をみましたので、碑文は読めませんでしたが、此樋元ではじまる碑文で「下井手樋門改造記念碑」と思っただけでしたが撮影しました。
「あさみなみ散歩マップ:東野・川内ルート」に紹介がありましたので参拝しました。
佐東町史には、仲哀天皇、応神天皇、仁徳天皇を祀るとありましたが、(わたしは)広島県神社誌にある、(広島の他の八幡神社系の神社でも多くみられる)神功皇后という記述をこの頁で採用しています。
 11.01.02裕・編集

10.06.11撮影
広島市安佐南区川内1-5

10.06.11撮影
本殿:一間社入母屋造、向拝付、銅板葺(間口七尺、奥行6尺)明治10(1877)年再建

10.06.11撮影
(第27・28代)広島市長荒木武揮毫 「御神木」額
由緒:八幡宮正面ノ大鳥居右玉垣ノ内側ニ神宮創設ト同時植樹ナサレタ寿齢推定二百五十年ト思ハレル老松ガ空高ク聳エ立ッタ御神木デ昭和五十六年五月頃ヨリ松葉ガ黄バミ先祖ガ植エタ立派ナモノデ何トカ後世ニ残存スベク力一杯努力シマシタガ其ノ効無ク松食虫ノ被害ヲ蒙リ枯死シマシタノデ玉木神主ノ切倒シ儀式ヲ執リ行ヒ氏子総代ニ於テ切倒シ後世ニ伝へル為一枚ヲ記念掲上シマシタ                 昭和56(1981)年11月吉日

10.06.11撮影
下井手樋門改造記念碑
「下井手樋門改造記念碑」とおもしき石碑をみて撮影しましたが、此樋元ではじまる碑文で文章をひも解くことができず、マップに紹介ある「下井手樋門改造記念碑」と思っただけでしたが撮影しました。
正面に碑文。裏面に明治16(1883)年4月。側面に沼田郡中調子村、高宮郡東野村、沼田郡東原村。と刻まれていましたので、川内用水の恩恵を受けていた村々で建立されたものだということはわかりました。
川内用水 太田川と古川に囲まれた温井、中調子、中筋、東野、東原の5地域を北から南へ貫流する用水路で上井手、中筋井手、下井手の三つの幹線水路で構成されています。
灌漑と排水を兼ねていますが、いつ頃、誰が造ったかという記録は発見されていません。
ただ、太田川改修で安佐大橋西詰から移設された「下井手樋門改造記念碑」が境内に残されています。

10.06.11撮影
境内社

10.06.11撮影

10.06.11撮影
境内社:天満宮(祭神:菅原大神) 境内社:真幡神社(祭神:高御産日神)



広島の神社寺院」編



広島ぶらり散歩へ
中調子八幡神社
  (境内社)天満宮





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送