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尾道市東土堂町の千光寺公園“文学のこみち”に建立されている「巖谷小波句碑」です。 |
大屋根は みな寺にして 風薫る |
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東京の人。おとぎばなし作家として児童文学につくした功は大きい。この句は、昭和7(1932)年尾道を訪れた際この地の風光をよんだ数句の中の一つである。 |
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巖谷小波 (いわやさざなみ:1870-1933) |
作家、児童文学者。東京麹町生まれ。本名は季雄(すえお)。別号に漣山人(さざなみさんじん)。父の一六は、近江水口藩の藩医で書家。
1887(明治20)年文学結社・硯友社(けんゆうしゃ)に入る。尾崎紅葉らと交わり、機関誌「我楽多文庫」に「五月鯉(さつきごい)」などの小説を発表した。少年少女のセンチメンタルな恋愛を描く作品が多かったそうです。 |
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関連頁:(尾道)住吉神社 |
「文学のこみち」を下ってきて10番目の碑が緒方洪庵歌碑で、次の11番目がこの巖谷小波句碑でした。
巖谷小波、はじめてこの碑で(わたしは)知った人物でしたが、巖谷・・・何処かでみた名前だなと思ったのですが思い出さなかったのです。後日、(尾道)住吉神社の頁を編集していた時に思い出したのです、神社額に巌谷修書とあったのです。調べるとこの小波の父が修こと一六だったので、親子尾道に縁があったのです。
お寺が多い尾道を云い得て妙の句だなと思いましたが、考えてみると広島の寺町でもこの句は当てはまるのかなと文学に疎いわたしは思ったりしました。 |
11.04.09裕・記編集 |