(尾道)住吉神社

  尾道市土堂町に鎮座している「住吉神社」です。
祭神:墨江三前大神(すみのえのみまえのおおかみ:筒男命、中筒男命、上筒男命三柱の神)
相殿神:
大物主櫛甕玉命、事代主命、宇気持命、須佐之男命
由緒: もと浄土寺境内に鎮座していましたが、元文6(1741)年住吉浜の築造がなり、港の繁栄を祈るため寛保元年(元文6年改元)9月現在地に社殿を新造して、11月朔日(さくじつ:月の第1日)遷宮されました。
なお、尾道港湾整備に功績があった先手物頭兼尾道寺社奉行の平山角左衛門尚住(?−1745)を祀った平山霊神社が境内社としてあります。
(いわやいちろく)
巌谷一六:
(1834-1905)
政治家、書家。近江(滋賀県)出身。本名、修。字、誠卿。父・玄通は水口藩の侍医。
一六6歳の時に父歿、母と京都に赴き、書・漢籍・医術を学ぶ。明治元(1868)年新政府の官吏となり、内閣大書記官・元老院議官・貴族院議員などを歴任。
能書家として知られ、明治の三筆の一人と称される。初め中沢雪城(書家:1808-1866)に師事して菱湖流を学び、明治13(1880)年来日した楊守敬(清の学者:1839-1915)から六朝書法を学び独自の書風を確立。各体をよくし、特に行草書は瀟洒(しょうしゃ)な風をなしているそうです。
   関連頁:(文学のこみち)巌谷小波句碑
旧築出町の築姫小路を通り、海岸通りに戻り尾道市役所の方へぶらり散歩していた時に大雁木とともに目に入ってきたのがこの(尾道)住吉神社でした。
事前に力石が置かれている事を調べていましたので、正面に回ってから、境内に入り参拝しました。神社に関しての由緒板は設置がありませんでしたが、この神社であれば広島県神社誌に記述があると思いましたので、そう広くない境内の力石、平山紀功之碑などをみました。神社額の揮毫が巌谷修書となっていましたがその時は(わたしには)わかりませんでした。一六の子供が小波で、文学のこみちに巌谷小波句碑が建立されており、親子尾道に縁がありました。
11.04.30裕・記編集

11.03.04撮影
広島県尾道市土堂町2-10-12

11.03.04撮影

11.03.04撮影

11.03.04撮影
JR尾道から海岸通りをぶらりしましたので、この光景が最初に目にはいりました



「広島の神社寺院」編



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(尾道)住吉神社
 (住吉神社の)力石
 平山市尹紀功之碑


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