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尾道市東土堂町の千光寺公園“文学のこみち”に建立されている「河東碧梧桐句碑」です。 |
えい紅の 碑あるあり 四山眠れるに |
*「えい」の漢字がPCで出てきませんので平仮名にしています |
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(エイ) |
1.ウズめる。地中にうめる。 2.墓 |
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松山市の人。高浜虚子と共に、正岡子規門下の二俊秀といわれた。全国を俳句行脚して「新傾向運動」をすすめる途中、尾道を訪れたときの句である。 |
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河東碧梧桐 (かわひがしへきごとう:1873-1937) |
俳人・書家。愛媛の生まれ。名は秉五郎(へいごろう)。正岡子規に師事。
新聞「日本」の俳句欄の選者を子規からひきつぐ。新傾向俳句を唱えた。中塚一碧楼(いっぺきろう:1887-1946)らと「海紅」を創刊、季題と定型にとらわれない自由律俳句にすすむ。1923(大正12)年「碧(へき)」。1925(大正14)年「三昧(さんまい)」を創刊。作品に「碧梧桐句集」,紀行文に「三千里」など。 |
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「文学のこみち」を下ってきて14番目が柳原白蓮歌碑で、次がこの河東碧梧桐句碑です、やはり千光寺裏手の岩に刻まれています。河東碧梧桐は名前ですがわたし(で)も知っている俳人で、その句碑が岩に刻まれていました。
説明板を読みましたが、この句の「えいこう」の事がわからず何だろうと思ったまま撮影しました。そして、次の千光寺境内の竹田、竹下、伯秀のえい紅碑をみて、この碑のことだったのかと少しばかりわかりました、説明板を読みましたが、えいこう自体が分かったようでわからないな~と小骨が刺さったままのような状態で、帰宅することになりました。 |
11.04.13裕・記編集 |