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南区霞の広島大学霞キャンパスに建てられている「広島大学医学部医学資料館」です。 |
広島大学医学部医学資料館は、1978(昭和53)年11月2日国立大学医学部最初の資料館として設置されました。
医学部は1957(昭和32)年9月呉市より霞キャンパスに移転し旧陸軍兵器補給廠の赤煉瓦造り2階建ての建物を校舎として使ってきました。
1978(昭和53)年医学部創立30周年記念事業の一環として11号館(大正4年建造)を改装して医学資料館を設置しましたが、1998(平成10)年建替えにあたり旧資料館の外観を尊重し痛みの少なかった東外壁(爆心地の反対側)を中心に被爆煉瓦や石材を再利用して建替えられました。
医学の歴史を示す種々の資料を収集、展示し医師、医学研究者のみならず一般の観覧に供し医学の発展、その教育や研究に資することを念願する事で造られています。 |
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何と云っても国の重要文化財に指定されている星野良悦による世界最初の木骨「身幹儀」は医学の知識が皆無のわたしでも知っているものです、展示されているものはそのレプリカですがじっと見詰ていました。
また、全身麻酔でこれまた世に知られている華岡青洲の資料など、それに原爆関連の資料なども展示してありました。 |
07.06.09裕・記編集 |
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06.12.16.撮影 |
広島市南区霞1-2-3 (広島大学医学部医学資料館) |
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10.06.03.撮影 |
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10.06.03.撮影 |
(広島大学医学部医学資料館として改築されたときには玄関周りは被爆当時とは異なっています) |
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06.09.20.撮影 |
10.06.03.撮影 |
10.06.03.撮影 |
10.06.03.撮影 |
(医学資料館展示)
星野木骨(レプリカ) |
(医学資料館展示)
吉益東洞像 |
(医学資料館展示)
毒ガス傷害者救済事業 |
(医学資料館展示)
薬研(やげん)の展示 |
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10.06.03.撮影 |
06.09.20.撮影 |
06.09.20.撮影 |
(医学資料館展示)
ここ兵器廠で被爆した平山郁夫の色紙 |
(旧・広島陸軍兵器支廠モニュメントに描かれている絵)
8スパンだった建物は、現在6スパンとなっています |
(ホール展示旧医学資料館の絵)
有田哲也作 1999年2月 |
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