陸軍少年飛行兵戦没者・碑

  南区 比治山公園の陸軍墓地に建立されている「陸軍少年飛行兵戦没者・碑」です。
 碑によせて          昭和50(1975)年10月
陸軍少年飛行兵は昭和9(1930)年2月第1期生が誕生し、昭和20(1945)年第20期をもって終わったが、年齢20歳前後の若人達が、操縦、通信、整備の部門で、空の戰斗に参加しました。彼等は当時の国情を憂い純真な気持ちで南に北に、そして本土の空の守りにとすぐれた功績を残して散っていったのです。不幸にして、この広島の地に世界で初の原子爆弾が投下せられましたが、このことによってようやく戰火がおさまり、第2次世界大戰も終戰を迎えることになりました。平和の代償としては、広島の被害は余にも大であったと言えましょう。ここにひたすら国の安泰と平和を願って殉じた広島出身陸軍少年飛行兵の靈を慰め永遠の平和を祈念してこの碑を建立します。
  少年航空兵には、大日本帝国軍隊・陸海軍航空兵のうち、一般徴兵にはよらず志願を俟って採用された丁年(成人)未満の少年兵のことで、陸軍少年飛行兵(少飛)と、海軍飛行予科練習生(略称:予科練)とがあったそうです。
平成11(1999)年4月に建立された「戦没者墓誌」には(わたしの数え間違いがなければ)122名のお名前が刻まれています。
 09.01.19 裕・記編集

08.12.11.撮影
広島市南区 比治山(ひじやま)公園  陸軍墓地

08.12.11.撮影






























































寿











香淳皇后(こうじゅん:1903-2000)
入江相政(1905-1985)

08.12.11.撮影
「大空に散華せし 亡き友に捧ぐ」
源田實(広島県山県郡出身海軍軍人:1904-1989)書

08.12.11.撮影



「軍都・廣島関連施設戦跡」編


陸軍墓地(概説)



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