(長崎市)戦災復興記念碑

  長崎市松山町の平和公園に建立されている「(長崎市)戦災復興記念碑」です。
像の作者は、富永直樹です。
1946(昭和21)年9月、戦災復興計画基本方針※に基づき、原爆で焼土と化した浦上一帯が復興土地区画整理区域に決定し、復興事業が始まりました。
以来28年余の歳月を費やし、1975(昭和50)年2月に完了しました。
少年と少女が腰をかけ平和都市として復興した浦上の街を眺めているこの像は、被爆都市再建の記念の碑でもあります。
(1975年11月建立)
※ベンチに座る少年と少女の像は故永井隆博士の2人の遺児をモデルにしたそうです。
戦災地復興計画基本方針のことを少しだけですが調べました。
長崎出身だからでしょうこの戦災復興記念の像も富永直樹作品でした。
数えたわけではありませんが、旅人のわたしでも一つや二つではなかった富永作品でした。
05.11.04裕・記編集

05.10.14撮影
長崎市松山町 (平和公園内)

05.10.14撮影
戦災地復興計画基本方針     昭和20(1945)年12月30日 閣議決定
今次ノ戦災ハ被害殆ンド全国ニ跨リ都市、集落ヲ通ジ其ノ焼失区域ハ1億6干万坪ニ及ブ、之ニ対スル復興計画ハ産業ノ立地、都市農村ノ人口配分等ニ関スル合理的方策ニ依リ過大都市ノ抑制並ニ地方中小都市ノ振興ヲ図ルヲ目途トシ各都市又ハ集落ノ性格ト其ノ将来ノ発展ニ即応シテ樹立セヲルベク計画ニ属スル事業ハ永年長期ニ亘リ継続シテ施行スルノ外ナキモ之ガ基礎トナルベキ土地整理事業ハ性質上出来得ル限,急速ニ之ヲ実施スベキモノトス
1 復興計画区域
 戦災地ノ復興計画ヲ実施スル区域ハ都市又ハ集落ノ相当部分ニ損害ヲ蒙リタル戦災地ノ主要罹災地域及之ト関連スル地域トス
2 復興計画ノ目標
 戦災地ノ復興計画ニ於テハ産業ノ立地、人口ノ配分等ニ関スル方策ニ依リ規定セヲルル都市集落ノ性格ト規模トヲ基礎トシ都市集落ノ能率、保健及防災ヲ主眼トシテ決定セラルベク兼ネテ国民生活ノ向上ト地方的美観ノ発揚ヲ企図シ地方ノ気候、風土慣習等ニ即応セル特色アル都市集落ヲ建設センコトヲ目標トス
以下条文略しましたが次の項目があります。
3土地利用計画、4主要施設、5土地整理、6疎開跡地ニ対スル措置、7建築、8事業ノ執行、9復興計画事業費



平和公園・概説



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