長崎市松山町に整備されている「(長崎)平和公園」です。 |
平和公園の北側中央に北村西望作で1955(昭和30)年8月8日完成の平和祈念像が位置しています。平和祈念像の高く掲げた手は原爆の脅威を、横に広げた手は平和を象徴、閉じた目は戦没者の冥福を祈っている(そうです)。
平和公園内には他に、平和の泉もあり、世界平和シンボルゾーンには世界各国から寄贈された平和を象徴するモニュメントがあります。
原爆投下時、この地にあった浦上刑務所の壁なども残っています。 |
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1945(昭和20)年8月9日(木)午前11時2分米軍投下の原子爆弾により一瞬のうちに廃墟となったこの地です。
1951(昭和26)年原爆投下中心地碑がある所(通称・爆心地公園)を中心としてその周囲の地域≒19h(ヘクタール)が「平和公園」として建設されました。
その地域は、原爆中心地の東側にある「下の川(しものかわ)」の向こう岸の斜面と、それに続く上の丘にある市道を挟んでの原爆資料館一帯。そして爆心地公園の北側の、市道を隔てた丘陵地帯の平和祈念像のある公園。JR長崎線・市電の線路を越えて、西側一帯に広がる各種運動施設がある。五つ(三つ)の地域からなっています。 |
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※平和公園の資料は長崎平和研究所編『ガイドブック・ながさき』を参考にしました。 |
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資料を見ているとわたしが平和公園と思っていたのは、平和祈念像がある一部地区だったのです。
通称・平和公園として編集しました。
女房とわたしは浦上天主堂(平和公園へは西に≒600m程)から歩いていきました。時間的制約がないここをその日の最後の見学地と決めていました。それは、長崎にはそうそう来ることができないだろうと、辺りが暗くなるまで散策し各記念碑を拝見し、撮影しました。 |
05.11.20更新 05.10.30裕・記編集 |
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05.10.14撮影 |
05.10.14撮影 |
平和公園 (平和祈念像を南よりみる) |
平和公園(北から平和の泉をみる) |
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