策伝会 2009年

  西区三滝本町の誓願寺で催された「策伝会2009年」です。
広島の誓願寺は、紫雲山光照院と号し、浄土宗西山派に属し、開祖は策伝上人(1554-1642)と云われています。策伝上人は隠居後、(京都の浄土宗西山深草派総本山)誓願寺塔頭竹林院に住みそこに草庵を構え安楽庵と号し、茶道をたしなみ狂歌を作り、笑いを取り入れた説教を行ったそうです。文人、茶人として知られ、豊臣秀吉 (1536-1598)や当代の文人たちと交遊しそのときの交遊録である「策伝和尚送答控」を残しています。
京都所司代板倉重宗(1586-1656)は、策伝の話を聴き、あまりにもおもしろいので草子に作るよう要請しました、依頼を受た、策伝は八巻の草子をまとめ『醒睡笑』と名付けて1628(寛永5)年板倉重宗に献呈しました。その序文には、「策伝某小僧の時より耳にふれておもしろくをかしかりつる事を、反故の端にとめ置きたり」とあり、読み返していると「おのづから睡(ねむり)を醒(さま)して笑う」ので、草子を「醒睡笑(せいすいしょう)」と名付けたとあります。「醒睡笑」は42項目に分類された千余りの話が収められ、落語の原話や小話の多くが「醒睡笑」を種本として用いられることとなり策伝は「落語の祖」と称されるようになったそうです。
2004年交流ウォークで訪ねた誓願寺でした、その時開祖の縁から毎年4月第4日曜日に策伝会(落語会)が催されていると、ご住職にお聞きしました。2009年になりましたが交流ウォーク片岡会長のお誘いで4月26日訪ねたのです。
ご住職(広瀬隆慶和尚)が策伝上人の追善法要を行い、策伝会の紹介をされた後、策伝会がはじまりました。
前座として広島演芸協会のジャンボ衣笠、秋風亭てい朝の話を聴いた後、いよいよ真打登場で落語協会所属:六代目柳亭小燕枝の「天災」を一番前の席で聴きました。(師匠であるという故人で人間国宝であった柳家小さんには及ばないものの)話しぶりは面白く、何十年かぶりに生の落語を堪能しました。
09.06.14裕・記編集

09.04.26.撮影
広島市西区三滝本町1丁目17-1 誓願寺

09.04.26.撮影

09.04.26.撮影
柳亭小燕枝
りゅうてい こえんし
六代目柳亭小燕枝
(1945-   )
落語家。東京都出身。出囃子:三社祭、 紋:剣かたばみ。
1965(昭和40)年3月五代目柳家小さん(1915-2002:1995年落語家初の人間国宝)に入門、前座名「小よし」。初高座は同(昭和40)年10月2日池袋演芸場で演目:二人旅。 1970(昭和45)年4月二ツ目昇進、「小三太」と改名。1980(昭和55)年4月真打昇進、六代目「柳亭小燕枝」を襲名。
※資料は、(社)落語協会の芸人紹介を参考にしました
2009年4月26日柳亭小燕枝の演目は「天災」でした
  長屋に住む短気で喧嘩っ早い八五郎。町内のご隠居のところで「紅羅坊奈丸(べにらぼう・なまる)」という心学 (石門心学) の先生を紹介。手紙を読んだ奈丸は、八五郎に「短気は損気」「孝行のしたい時に親は無し」などと諭したが一向に理解しない。そこで例え話いろいろとする。最後に「広い野原を歩いているとにわか雨が降って来て全身濡れねずみ。傘も雨宿りの場所もない。どうする?」「うーん・・・諦めるしかないな」「天とは喧嘩できない」。諭された八五郎は、納得して家に帰るとなにやら長屋が騒がしい。近所の熊五郎が新しい女を連れ込み、そこへ別れた前の嫁が戻ってきたので大喧嘩になったと聞く。教わったばかりの話を熊さんにしてやろうと喜び勇んで乗り込む八五郎。「これもすべて天のしたこと、『天災』と思って諦めなさい、天とは喧嘩できないから」。「天災じゃない、うちは『先妻』でもめてるんだ」というオチで終わる話。

09.04.26.撮影

09.04.26.撮影
ジャンボ衣笠 秋風亭てい朝
広島演芸協会番頭:尾崎隆志、1949(昭和24)年生まれ 広島演芸協会会長:沖博義、1956(昭和36)年生れ



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