(古江五十林の)六地蔵尊

  西区古江上の福蔵寺に祀られている「(古江五十林)六地蔵尊」です。
福蔵寺は、浄土宗のお寺で、江戸時代より山号を出生山と称しています。創建の時代は不明。一説には奈良時代の僧・行基の創建といわれています。
地蔵尊の由緒
このお地蔵さまは、元・古江五十林(現在・古江上二丁目)に古江地区住民の火葬場がありました。中央の高い(お地蔵さま)が迎え地蔵で、その左右各三体は六地蔵の愛称で呼ばれていたご尊形です。昭和4(1929)年4月4日古田村の広島市への合併時条件として存続された火葬場は、昭和37(1962)年を最後に廃止となりました。その仮安置の場所より平成4(1992)年に現在地に遷座していただいたお地蔵さまです。
ろくじぞう
六地蔵
1 六道において衆生の苦しみを救うという六種の地蔵菩薩。すなわち、地獄道を救う檀陀(だんだ)、餓鬼道を救う宝珠、畜生道を救う宝印、修羅道を救う持地、人道を救う除蓋障、天道を救う日光の各地蔵の総称。また、延命宝処宝手持地宝印手堅固意の六地蔵とする説もある。
2 六体の地蔵像を安置した寺。特に、京都伏見の大善寺の称。
3 墓地や道ばたなどに六体を並べて安置した石の地蔵像。
仏教の六道輪廻の思想(全ての生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)に基づき、六道のそれぞれを6種の地蔵が救うとする説から生まれたものです。六地蔵の個々の名称については一定していません。
地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道の順に檀陀(だんだ)地蔵、宝珠地蔵、宝印地蔵、持地地蔵、除蓋障(じょがいしょう)地蔵、日光地蔵と称する場合と、それぞれを金剛願地蔵、金剛宝地蔵、金剛悲地蔵、金剛幢地蔵、放光王地蔵、預天賀地蔵と称する場合が多いが、文献によっては以上のいずれとも異なる名称を挙げている物もあります。像容は合掌のほか、蓮華、錫杖、香炉、幢、数珠、宝珠などを持物としていますが、持物と呼称は必ずしも統一されていないようです。
以前この近くで仕事をしたというのに福蔵寺のことはまったく知りませんでした。ただこの近くに昭和30年代まで火葬場があったことだけは聞いた事がありましたので、2005年説明板を読んで、その火葬場に鎮座されて居られたお地蔵様だった事を知りお寺の頁と一緒に編集していましたが、今(2010年)回再び訪ねましたので、六地蔵尊の事を少し調べ、独立したこの頁を編集しました。
10.05.12分離・更新   05.03.07裕記・編集

05.02.19.撮影
広島市西区古江上1‐659 福蔵寺

10.05.08.撮影

10.05.08.撮影



広島の神社仏閣」編



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福蔵寺
被爆した鐘楼・庫裏
(境内の)源範頼廟
(境内の)忠魂碑
(境内の)六地蔵尊





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