(尾長天満宮)古天神社
  東区牛田東の天神公園に鎮座している「古天神社」です。
当社(尾長天満宮)は元、祭神少名毘古那神と合わせて五座を祀る神社で、明星峯にあって天神宮と称しました。伝えによると明星峯とは当社の神燈海上より之を望めば赫々として明星のようだったので名付けられ、また、大麻峯とも称され、昔、当社の祭日に社頭の樹木へ大麻(おおあさ)を掛けると海上より船客之を望むと風に飜って興あり故に大麻天神とも称されました。神階三代実録に在りますが、最初の勧請年月日は詳らかではありません。
佐東城主武田の家臣串氏、三代実録貞観元(859)年3月26日壬午授安藝國正六位上大麻天神従五位下とあります。久寿年中(1154-1156)平清盛(1118-1181)当山三社再建之其一也、承久年中(1219-1222)中国守武田信光の時大破しましたが再建されました。文和年中(北朝年号1352-1356)大破し、武田直信之を菅大臣峯菅大神社へ合併しました。寛永年中(1624-1644)菅神と地主大穴牟遅神並びに五座のうち少名毘古那神を里近くへ遷宮し尾長天神宮と称し、元天神四座の神を瑞泉谷へ分社して之を古天神社と号しました。その後、承応年中(1652-1655)新開方より建替え、正保5(1648)年に修理、文化年中(1804-1818)風で損し本社拝殿半分に縮め営繕しました。慶応2(1866)年風で倒れ、此度信者8名寄合、また縮めて建替ました。
明治4(1871)年地形崩れ社殿が倒れたので尾長天満宮へ当分相殿として鎮座しました。其の旧蹟は古天神として今尚瑞泉谷に在り、当山を境外として上地されるまでは依然小社の築石等あり四方注連を引き猥りに人の出入りを禁じ保存されていましたが今隠滅しました。大正15(1926)年9月豪雨により尾長天満宮社殿悉く損しました。昭和12(1937)年5月吉日御旧蹟の碑を設け記念としました。平成11(1999)年此地に尾長天満宮古天神社御旧蹟の碑を建立しここに記念としました。
古天神社御旧蹟の碑
平成12(2000)年7月吉日
尾長天満宮宮司 渡邊直臣
※碑文中、貞観元(859)年は己卯で、壬午は貞観4(862)年ですので(年代か干支が違っています)。
※碑文中、承応年間(1652-1655)と正保5(1648)年ですので(年代が前後しています)。
牛田に住んでいましたが、牛田のことはさっぱり知らなかったと云っていいもので、今(2008年5月)回交流ウォーク探検隊で教えていただいたこの(尾長天満宮)古天神社のことも全く知らなかったのです。
菅原道真がこの地に立寄ったということは尾長天満宮(本社)を訪ねたときに知ったのですが、いろいろなことを知らずにこの歳になったと思いますが、少しづつでも知って行こうと思っていると、遅まきながらではありますが、繋がっていく部分が出てくるのです。
08.06.06裕・記編集

08.05.03.撮影
広島市東区牛田東1-25  天神公園

08.05.03.撮影

08.05.03.撮影

08.05.03.撮影

08.05.03.撮影
尾長天満宮北側(天神川源流付近と思われるところに)御旧蹟碑、東側に現在の古天神社



「神社寺院など」編



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尾長天満宮
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(番外)尾長天満宮の絵馬


「牛田・二葉の里・矢賀附近」編





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