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廿日市市天神の廿日市招魂社に建立されている「明治天皇御駐蹕遺跡・碑」です。 |
この廿日市招魂社は1939(昭和14)年に創建されたそうです。
現在は小さな公園として整備されていますが、1885(明治18)年山口・広島・岡山を巡幸された明治天皇が、8月1日厳島から地御前に上陸され、人力車で廿日市に入られ岩尾澤太郎邸でお休みになった(その後広島へ向かわれた)その場所で、この地が1939年に落成した招魂社だったそうです。 |
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昭和14年=1939年 明治18年=1885年 |
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(ちゅうひつ)
駐蹕: |
蹕(さきばらい)を駐(とど)める意味だそうです。
天子の行幸の途中、一時のりものを止めること。また、その地に滞在すること。駐駕(ちゆうが)。駐輦(ちゆうれん)。 |
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この碑の下に昭和14(1939)年当時廿日市町長が書いた説明板が取り付けてありました。
文章からこの「明治天皇御駐蹕遺跡」碑を建立するこの土地を買収するために浄財を集めたということが分かりました。
1939(昭和14)年といえば各地の招魂社が護国神社に名を変えた年ですが、ここ廿日市町は規模的なこと?からか招魂社の社名を今日に残しています。 |
2007年9月交流ウォークのときにこの碑の裏側をみてみると、官選第30代飯沼一省広島県知事の書であることがわかりました。 |
07.09.24裕・記編集 |