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南区向洋大原町に開店している「(土蔵を改造した)お好み焼き屋」を取り上げました。 |
交流ウォーク探検隊で訪ねた向洋地区でした。昼ごはんとして食べた(住民の方に教えていただいた)お好み焼屋さんでした。
お好み焼きを焼いてくれていた奥さんと話していると、この店は昔は蔵だったのをお好み焼きに改造したのですよ云われたのです。何の気なしに入ったお好み焼屋さんでしたが、店の名前が「蔵」、その由来はもともと蔵だったことから来ていましたので、食べ終わってから撮影しました。 |
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広島で「お好み焼き」と云えば※下記のもので、大阪などで云うお好み焼きは「関西風お好み焼き」と云い区別するのが一般的です。 |
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お好み焼きのはじまりは、主食の米が不足した戦前戦中に庶民の間で親しまれた「一銭洋食」だったといわれ、小麦粉を水で溶き、ねぎや干しえび、紅しょうがなどを入れて焼いたものでおやつのような存在だったそうです。
戦後、栄養不足を補うようにと具としてキャベツや卵、魚介類、そばやうどんを入れるなどの工夫がなされいまの(広島風)お好み焼きになっています。 |
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そろそろ昼ごはんと云う時、(それまで散策していて食堂をみなかったです。
向洋地区には食堂がないのかな?と)住んでおられる方に食堂を聞かなくてはと思ったのですが、通っておられる方がなかなか居られなかったのです、たまたま郵便物を取りに出てこられたおばあさんに尋ねたのです。「昔は食堂はあったのですが、いまはこの地区にはお好み焼屋さんがあるくらいになりました」と云われましたが、お好み焼で十分だからと場所を教えていただき、食べたお好み焼屋さんだったのです。美味しく頂きましたがお好み焼きは撮影は忘れました。 |
最近、TVなどを見聞きしていると「広島焼き」と云う言葉を使っているのを聞くことがありますが、それは間違いで、百歩譲っても「広島風お好み焼き」と云わなくてはと(わたしは)思っています。 |
10.09.05裕・記編集 |