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安佐北区可部の桐原山 品窮寺に建立されている「忠僕岩田万助之碑」です。 |
(正面) |
碑之助万田岩僕忠 <碑文> |
<碑文> |
岩田万助資性朴直齢十五歳甫仕先■兵衛歴三代■余先考歿後以・・・(中略)・・・家運維持之安全等六十有六年之久勤勞如一日常至誠從事克守節義無敢淪矣明治四十二年五月縣知事奇特其■行下賜賞金郡長亦表彰其名譽后大正六年三月六日病歿行年八十一歳
大正六年五月 藤居五郎 誌 |
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奉公先の三代目の主人が亡くなり、四代目はまだ幼少であったので後見役となり主家の立て直しに尽力した功績で(広島)県知事が褒賞金を与えた(碑文にはありませんが、可部カラスの会発行「わがまち可部」に依ると金五円だそうですから厘の単位まであった当時としては大金ですね)。 |
ちゅうぼく
忠僕 |
忠実な下男。忠義な下僕(げぼく=召し使いの男)。 |
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明治42(1909)年当時の広島県知事は宗像政。 碑建立の大正6年=1917年。 |
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碑銘の「忠僕」と云う文字をみた時、意味はそれとなくわかりましたが、いまどきとんと使われない単語だなと思いましたので撮影し頁にしようと思いました。
ある意味会社に対して不満を云いながらも忠僕だったのでなかったかなと己が人生を思ったからでもありましたので。 |
10.09.12.裕・記編集 |