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安佐北区可部の桐原山 品窮寺に建立されている「忠勇・碑」です。 |
(正面) |
忠勇 陸軍少将従四位勲二等功三級 真鍋斌(1851-1918)書 |
(側面) |
明治33(1900)年4月14日建之 辻井増平 |
(裏面) |
陸軍歩兵軍曹辻井君之墓碑
君諱萬五郎増平君之第七子也・・・(中略)・・・・明治三十二年七月十三日攻天津城勇戰■以會為敵彈所創終不■翌十五日歿嗚呼烈士の骨■于朽名則不朽矣 |
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辻井万五郎さんは、北清事変において明治32(1899)年7月13日敵弾にたおれ15日に亡くなり、その武勲を遺すために忠勇碑が建立されたようです。 |
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ほくしんじへん
北清事変 |
義和団事件(ぎわだんじけん)
1899(明治32)年~1900(明治33)年列強の進出に抗した中国民衆の排外運動。
山東に始まった義和団の運動が華北一帯に波及、北京の列国大公使館区域を包囲攻撃するに及び、日英米露独仏伊墺連合軍の出兵を招き、鎮圧された。 |
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2010年7月再び訪ねた品窮寺でみた石碑でした。樹木で碑銘が隠れていましたので近づきみると忠勇碑でしたので、日清戦争か日露戦争での碑かなと思って裏面の碑文をみると、北清事変で亡くなった辻井さんの墓碑でした。 |
10.09.13.裕・記編集 |