(尾道・文学のこみち)中村憲吉歌碑

  尾道市東土堂町の千光寺公園“文学のこみち”に建立されている「中村憲吉歌碑」です。
千光寺に夜もすがらなる時の鐘 耳にまぢかく寝ねがてにける
*寝(い)ねがてに=寝ることができないで
広島県三次市(旧布野村)の人。アララギ派の歌人で、その作風は近代歌人中特異な存在であった。後年、病魔におかされ、千光寺山の中腹で病を養っていたが、昭和9(1934)年、46才で他界した。
中村憲吉 (なかむらけんきち:1889-1934)
歌人。広島の生まれ。東京帝大学卒業。大阪毎日新聞経済部記者。実家の酒造業。
1909(明治42)年から伊藤左千夫(1864-1913)に師事、「アララギ」に参加。家業の酒造業に従事し、郷里の自然と人生をうたって写生歌の境地をふかめた。歌集に「林泉集」「しがらみ」など。
「文学のこみち」を下ってきて千光寺本堂下に降りた処に建立の松尾芭蕉句碑が17番目で、次の18番目がこの中村憲吉歌碑ですが、芭蕉句碑から石段を下りて行き「中村憲吉終焉の家」の処に建立されていますので、(次の19番目にはまた登っていきますので)、中村憲吉旧居の家(無料)を見学してから次に行かれたらとお節介な言葉で、この頁の締めてさせていただきました。
※終焉の家、敷地内建立の歌碑(複数)は別頁で編集します。 11.04.16裕・記編集

11.03.04撮影
広島県尾道市東土堂町 千光寺公園・(文学のこみち)中村憲吉終焉の家

11.03.04撮影

11.03.04撮影
中村憲吉終焉の家



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文学のこみち・中村憲吉歌碑
中村憲吉終焉の家
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