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安芸郡海田町寺迫の長谷寺に建立されている「(奥海田村)水害之碑」です。
*碑文には、「丁未水害」とあります(ので)“奥海田村水害の碑”というこの頁の題はわたし選択の題です。 |
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(表面)丁未水害之惨状与同情之恩義千載之下尚不可忘焉
(裏面)丁未水害被害状況概記
流失及半壊家屋百四十戸 浸水家屋百二十戸 流地百三町歩
浸水反別五十二町歩 山嶽崩壊百八十二ヶ所 死者六十七名
(側面)昭和六年七月十五日建之 |
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碑面に近づき(わたしは)みましたが。
丁未(1907年)水災害被害状況概記
死者67名、流失家屋??浸水家屋120戸・・・・碑文文字が不鮮明で(わたしには)よく読めませんでした。
2016年になって広島大学が“広島県内における水害碑の碑文資料”をNET公開しました。その資料には‘被害状況概記’の全容がありましたので参照して上記のように追記しました。 |
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(海田町の資料によると)
『1907(明治40)年7月豪雨により水害が発生。瀬野川が氾濫し、奥海田村で死者68名、流失家屋650戸余の被害を出す。』とあります。 |
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(現在の広島市安芸区になった)畑賀村、中野村にも水害碑があります。
ここ奥海田村も同時期に水害で被害があったのかと思ったのです。碑文の丁未がその場では何年を指すのかわからなかったのですが、昭和6(1931)年建之は読めましたので、畑賀村の水害とは時期が違うのだな〜と考えました。
帰宅後調べると1907(明治40)年に大きな水害があったことがわかりました。 |
2021年もコロナ禍に終息の兆しがみえない8月13日広島市に大雨特別警報が発表される大雨になっている中、この頁を広島大学の資料を参照し、わからなかった被害の概要を更新しました。21.08.13.追記 |
06.03.09裕・記編集 |