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東区二葉の里に鎮座の鶴羽根神社にある「被爆した石造物」をこの頁で取り上げました。 |
1945(昭和20)年8月6日以前の石造物は、被爆したものという当然のことを資料で知り、太鼓橋、石灯籠、御大典記念石碑などを撮影しました。
2004(平成16)年鶴羽根神社に初詣に行ったときにはじめて標柱などを撮影しました.
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爆心地より≒1,780m 被爆当時も町名は二葉の里 |
石燈籠をよく見れば笠の部分が欠けていました。⇒
爆風そのものでこの笠が折れたわけではないのかもしれませんが、原爆の爆風で石燈籠が倒壊しその時にかけたのではないのだろうかと思ったのです。 |
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2004年撮影しこの頁を編集しました。
2006年に撮影し、この頁を再編集しました。 |
06.08.23再編集 04.03.31裕・記編集 |
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06.07.21.撮影 |
広島市東区二葉の里2-5-11 鶴羽根神社 |
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06.07.21.撮影 |
太鼓橋、石灯籠、御大典記念石碑 |
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06.07.21.撮影 |
06.07.21.撮影 |
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06.07.21.撮影 |
04.01.02.撮影 |
謹
録
八
幡
宮
神
敕
陸
軍
中
将
正
田
位
勲
二
等
功
四
級
木
越
安
網
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04.01.02.撮影 |
明
治
三
十
九
年
十
二
月
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標柱は1906(明治39)年12月に建立されています |
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06.07.21.撮影 |
御
大
典
記
念
山
口
町
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昭
和
三
年
十
一
月
十
日
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06.07.21.撮影 |
御大典記念・石碑 1928(昭和3)年11月10日 山口町 |
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04.01.02.撮影 |
常
盤
土
地
建
物
株
式
會
社 |
皇
紀
二
千
六
百
年
記
念
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04.01.02.撮影 |
皇紀2600年=1940(昭和15)年 |
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保田八十吉 勒功彰徳碑
(第百四十六國立銀行、廣島銀行の頭取をされたようです)
1920(大正9)年11月建立
従二位勲一等股野琢(書家1838-1921)撰 |
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