|
東区二葉の里の鶴羽根神社に建立されている「保田八十吉・勒功彰徳碑」です。 |
保田八十吉やすだ・やそきち (1843年9月21日〜1919年3月16日) |
諱は茂生、号は二橋。通称は八十吉。1863(文久3)年稲荷町西組年寄。先代以来度々御国恩寸志銀献上により四十二人扶持、苗字帯刀御免。1866(慶応2)年十二人扶持。生涯町大年寄次。
1886(明治19)年第百四十六国立銀行、同行が1897(明治30)年に(普通銀行の)廣島銀行に転換した後頭取、亡くなるまで取締役の地位にあった。農工銀行取締役、米綿取引所理事長帝国実業協会幹事などを務めた。宇品築港では県令千田を支援してこれを完成された。1888(明治21)年に黄綬褒章を受ける。1900(明治33)年正七位、没後1919(大正)8年従六位に叙位。 |
|
家傳孝義 爲州儀表 篤志奉公 故舊追慕 豊碑深刻 流芳千載 |
資料をみていると、鶴羽神社には石碑なども被爆したものと記述がありました。 |
爆心地から≒1780m 被爆当時町名も二葉の里 |
大正9(1920)年11月建立のこの碑は被爆した石碑ということがわかりました。
碑文の全文はわたしには解読できませんでしたが、保田八十吉が実業家として活躍したことがわかりました。 |
09.06.02裕・記編集 |