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東区二葉の里に鎮座の鶴羽根神社境内に建立されている「山縣豊太郎像」です。
※2001(平成13)年建立されました。 |
山縣豊太郎(やまがたとよたろう)(1898-1920) |
出生:1898(明治31)年、広島市京橋町山縣家の三男として誕生。入校:1915(大正4)年、伊藤飛行機研究所(千葉県)が開校され第1期生として入校、1917(大正6)年に首席卒業。活躍:1919(大正8)年5月5日東京遷都50周年祝賀行事の日、愛機鶴羽2号に搭乗、大観衆の見上げる上野上空に見事宙返りを敢行、日本航空史に輝く「民間人初の宙返り」を達成した、また特筆される快挙として、翌1920(大正9)年4月東京〜大阪間往復無着陸飛行大会に優勝、そのほか数々の飛行記録を樹立、「民間航空界の鳥人山縣時代」を到来させた。殉職:1920(大正9)年8月千葉県(鷺沼の畑)上空で連続(3回)宙返りを実行中、右上翼が空中分解、キリモミ墜落し、惜しまれる22歳の若き生命を空に殉じた。神葬祭:於東京青山斎場、大隈重信日本航空協会会長をはじめ国内航空関係者多数が参列し故人の業績を偲んだ。
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空を飛ぶロマンを求めていた当時の人々の心を捕まえていたようで、墜落死は新聞号外で報道されたそうです。
1923(大正12)年に偉業を讃え飛行服姿の銅像が建てられたが、戦時中供出されたそうで、2001(平成13)年に黒御影の石造で再建されたそうです。初詣でお参りに来た時交流ウォークのとき等でみてはいましたが、今回撮影しました。 |
☆墜落現場の鷺沼には「山縣飛行士の殉空の地」の石碑が建っているそうです |
06.08.22裕・記編集 |
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