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中区江波南の衣羽神社に建立されている「皇太子殿下縣下行啓記念・碑」です。 |
皇太子殿下裕仁親王(後の昭和天皇)は1926(大正15)年中国3県を視察されました。
1926(大正15)年5月21日軍艦長門で岡山県宇野港へ上陸され岡山県を、5月24日福山市を行幸され、
宮島から広島の比治山・御便殿広場には5月26日行啓され広島市内を展望され、その後5月31日には山口県に行幸されたそうです。 |
行啓(ぎょうけい) |
古くは「ぎょうげい」。「啓」は先払いの意
三后(さんこう:太皇太后・皇太后・皇后)・皇太子・皇太子妃・皇太孫(こうたいそん:皇太子のいない場合に皇位を継ぐべき皇孫)が外出すること。 |
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再度訪れた衣羽神社、今回は参道正面から行くことにしました、入ってすぐのところに砲弾が碑になっているのが目に入りました、忠魂碑かなと思ったのですが、消えかかる文字を読むと皇太子殿下(後の昭和天皇)が広島県下を行啓された時の記念碑でした。碑文の神威輝までは読めましたが次がわかりません花抻かなとも思いましたが意味がいまひとつで・・・ |
07.12.24裕・記編集 |