廿日市宿

  廿日市市廿日市地区にあった(過っての)「廿日市宿」について取り上げました。
『廿日市は、古く廿の浦と呼ばれ鎌倉時代に厳島神社の神主として鎌倉から藤原氏が移住しました。
その頃交通の要衝地であったこの地に毎月廿日に定期市が立つようになり廿日市の名がつくようになったそうです。
西国街道の宿駅として馬15匹が置かれ、(現在中央公民館の辺りが)廿日市本陣(山田屋が代々務めた)であり、石見国津和野への津和野街道も通り津和野藩の御船屋敷が置かれ陰陽(山陰山陽)の交易の要所として、安芸国西部の物資集散地でした。
また厳島神社造営に由来する鋳物師の町として、厳島参詣の中継地として繁栄し続けました。』
という廿日市宿でした。
わたしは、廿日市地区は国道2号線(宮島街道)、西広島バイパスを車で何度も通ったことはありますが、交流ウォークコース探検隊として西国街道のこの辺りを案内してもらいぶらり散歩したのははじめてでした。
07.05.11更新 07.05.10裕・記編集

07.04.12撮影
広島県廿日市市天神附近から桂公園方向をみる

07.04.12撮影
現在の廿日市中央公民館附近を天満宮よりみる

07.04.12撮影
旧西国街道沿いの民家には今も袖壁(うだつ)がありました

07.04.12撮影

07.04.12撮影



「通り・街道」編


「旧・廿日市町」編



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