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南区仁保沖町の仁保沖町緑地に建立されている「魚貝類供養塔」です。 |
表面; |
魚貝類供養塔 |
裏面: |
魚貝類供養塔建設 大河地区、日宇那地区 後援
委員の名前(池田為網など11名)、東洋工業株式会社、株式会社水野組 |
裏面: |
昭和35(1960)年12月31日建之 |
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黄金山南側麓の黄金山通りを過去何度か車で通った時に車中から見ていた石碑だったのです。
何の石碑だろうかと思っていましたが車を止めてまで確認をしていませんでした。
2007年12月交流ウォーク探検隊のときこの辺りに石碑があったなと思った場所が最初まだ東の方だと思っていたので探せなかったのです。トイレタイムで丹那公園の便所を使用した時に道路向かい側にこの碑を見つけ近づき撮影しました。碑裏の建立者をみて、そうかこの辺りの埋立で魚貝類を死滅させたことへの罪滅ぼしの慰霊碑だったのかとわたしは思いました。 |
08.05.28裕・記編集 |
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07.12.26撮影 |
広島市南区仁保沖町2 (仁保沖町緑地) |
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07.12.26撮影 |
魚貝類 供養塔 |
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07.12.26撮影 |
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魚貝類供養塔建設 委員 |
昭和35(1960)年12月31日建之 |
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東洋工業株式会社 |
創業者・松田重次郎。1915(大正4)年松田製作所を設立。1920(大正9)年コルクを製造する東洋コルク工業として広島市に創立に参加、翌(1921)年社長。1927(昭和2)年社名を東洋工業にあらため工作機械メーカーに転身。1931(昭和6)には3輪トラックの製造を開始し自動車業界に進出した。1984(昭和59)年に社名をブランド名のマツダ株式会社に改称。 |
株式会社水野組 |
総合建設会社。海洋土木大手。1929 (昭和4)年 合名会社水野組設立。 1945
(昭和20)年 戦災で本社焼失、同年10月に広島市宇品町に再建。1954 (昭和29)年
株式会社水野組を設立、合名会社水野組を合併。1967 (昭和42)年 社名を五洋建設株式会社と改め
現在に至る。 |
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