りゅうじんやま
龍神山

 西区井口2附近にある小高い丘「龍神山」をこの頁で取り上げています。
西国街道 いのくち歴史の散歩道 「龍神山」  平成21(2009)年11月井口・鈴が峰魅力さがし委員会
龍神山は、1825(文政8)年広島藩編纂の「藝藩通志」の井口村絵図に「小己斐山」と記述されています。現在の「龍神山」は、明治維新後の登記の際に付けられた名称のようで、1838(天保9)年の「御巡見様御通行ニ付村内諸書出帳」にも御建山(藩所有)の「小己斐山」と記述されています。
西国街道がこの山の峠を通り、険しい難所として知られていましたが、山頂からの景観を『眺望絶景、瀬戸内海の風景一眸の内にあり月明の雅趣は比類稀なり、かって頼山陽この地に遊び一夜月を賞して、この山に「望月山」と命名し一詩を賦したといふ』と1918(大正7)年発行の『佐伯郡誌」に記載があります。
現在、龍神山(58.5m)の頂上には、サイレンがあり、戦前から時刻・火災発生(戦時中は空襲警報の役目も持っていた)などを知らせています。
*1 頼山陽(歴史家:1780-1832)と田能村竹田(南画家:1777-1835)が、小己斐明神島をみながら酒を酌み交わし、詩を詠んだそうです。
*2 サイレンは、1938(昭和13)年頃設置されたそうです。(現在は)午前中2度、正午、夕方1度鳴らされているそうです(がわたしは昔、井口で仕事をし徹夜をしたことも何度もありましたが、仕事の鬼では決してなかったわたしですが、このサイレンの音を聞いた記憶はありません)
井口で仕事をしたこともありましたが、2005年交流ウォークの時に(わたしは)はじめて知った龍神山でした。2009年になって山頂までの道が整備されたと聞いていましたので、2010年交流ウォーク探検隊で行きました。
広島ぶらり散歩「頼山陽関連」編を編集していますので、どういう所で一献、竹田と酌み交わしたか知らなくてはと思っていのです。緑の減少を嘆く今日の趨勢から、単に眺望が悪いから立木を伐採しようとならない事は重々考慮しなくてはならない事と頭の中で考えながら「望月山」から小己斐明神方向をみて撮影しましたが、これは腕の問題ではなく、瀬戸内海をみることはできない事がわかりました。
10.05.27裕・記編集

10.05.01撮影
広島市西区井口2附近  龍神山

10.05.01撮影
広島市西区井口2-3  昔の西国街道・龍神山登り口附近

10.05.01撮影
山頂から少し下がった所では木々の隙間に小己斐明神がわずかに

10.05.01撮影

10.05.01撮影
頂上から南側(瀬戸内海側)は木立が邪魔して見えません

10.05.01撮影
現在(小己斐島側は、木立で見渡せませんが、江戸時代この岩に頼山陽座り、漢詩を読んだのかもしれません?

10.05.01撮影
現在、龍神山頂上にはサイレンがあります

10.05.01撮影
説明板にあった画像を使用しています

10.05.01撮影
説明板にあった画像を使用しています



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  頼山陽が(龍神山で)詠んだ漢詩
  (龍神山の)サイレン





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