(大野村)征清凱旋・碑

  廿日市市大野の報国神社境内に建立されている「(大野村)征清凱旋・碑」です。
※この征清凱旋・碑建立時は、佐伯郡大野村でした。
(正面)旋凱清征  出征者の階級氏名
(側面)     明治二十九年十月建之
征清凱旋・碑は、桑原にあった大頭神社旧地から移したそうです。 *明治29年=1896年
(にっしんせんそう)
日清戦争:
1894(明治27)年8月から翌(1895)年にかけて日本と清国の間で戦われた戦争。
朝鮮進出政策をとる日本は、宗主権を主張する清国と対立、甲午農民戦争(東学党の乱)を機に両国は朝鮮に出兵、日本軍は豊島(ほうとう)沖で清国軍艦を攻撃し開戦に至った。日本軍は平壌黄海威海衛などで勝利し、1895(明治28)年4月、下関で講和条約締結。
1889(明治22)年4月1日 市町村制施行で佐伯郡大野村発足。
1950(昭和25)年4月1日大野村が町制施行して佐伯郡大野町。
2005(平成17)年11月3日廿日市市へ編入され消滅。
大野町誌によると日清戦争では、大野村から3人の犠牲者を出し悲しんだが、一方戦勝の喜びに溢れたと記述がありました。
四つの石碑が、現在ここ報国神社の根際に建立されていますが、碑の建立年代順に並べるのではなく、最初の建立地からここへ移設された年代順になったのかなと(わたしは)思いました。
09.10.23裕・記編集

09.09.08.撮影
広島県廿日市市大野5357  (報国神社境内) 

09.09.08.撮影

09.09.08.撮影



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