(早稲田神社の)石灯籠
       由緒
  此の石灯籠は弘化5(1848)年二股(二叉)土手の常夜灯として串(現・牛田南二丁目)の人々により土手に建立されたものであるが、昭和56(1981)年河川改修工事に伴い処分されるのを惜しみ神社に寄進されたものです。
(いまは神社本殿脇に移設されている)灯ろうは昔弘化5(1848)年に早稲田神社の氏子が神社の参道に据えて、牛田の五穀豊穣、家内安全を祈って奉献したもので、舟の安全灯であったそうです。他に牛田南一丁目、早稲田神社下に灯ろうがありました。二股(二叉)土手の脇にあった灯ろうも、塚部の灯ろうと同じく弘化5年に造られました。長い間に少しづつ傾き危険になったので、昭和58(1983)年3月末早稲田神社境内のいまの地に移されました。
平和大通りの石燈籠をみてきましたので、これらの灯ろうの分類仕分けはとすぐ思うところが浅はかなのですが、これらの石灯ろうは、地域住民の願いを込め、自然石の姿を利用しそれを加工し造られもので、献灯された寺院名から早稲田神社(自然)形の石燈籠とでもなるのでしょうかネ。
以前、牛田旭1丁目に住んでいましたので、何度か初詣にもいき絵馬を集めてもいましたが、参道途中の石燈籠に目をやることもなかったのです。今(2008年5月)回交流ウォーク探検隊で牛田地区を訪ねたときに、これらの灯籠が江戸時代に寄進されている灯ろうだったことをはじめて知りました。サンベルモ裏の石燈籠には盃状穴があります。
08.08.24裕・記編集

08.05.03撮影

08.05.03撮影
広島市東区牛田早稲田2‐7‐38 (早稲田神社境内の串の石灯ろう)

08.05.03撮影
広島市東区牛田早稲田2‐7‐38 早稲田神社参道(石段下の串の石灯ろう)

08.05.03撮影

08.05.03撮影

08.05.03撮影
広島市東区牛田旭2-7-5 (サンベルモ裏側の塚部の灯籠)



「石燈籠など」編・全体


「盃状穴」編



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