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南区元宇品町に建てられている「補陀落山(ほだらくざん)観音寺」です。
※広島新四国八十八ヶ所霊場第51番霊場です。
*2007(平成19)年お詣りた時第51番霊場の標識が掛けてありました(下画像)が、
2008(平成20)年発行「巡礼の手引き5版」には、分院と聞く佐伯区坪井の方に第51番霊場がなっています。 |
補陀落山(ほだらくざん)観音寺は禅宗(臨済宗妙心寺派)のお寺です。
桂雲禅師が開基され、後に毛利輝元の時代(文禄年間)に宇品島巡守であった坂本秀晴(宗味)が中興したものです。安芸西国三十三番の霊場です。
御本尊は十一面観世音菩薩で、御丈僅1寸8分(約7cm)の金の仏様で、東京・浅草の観音様や京都・清水の観音様と同じ観音様です。この十一面観音菩薩は平安初期の武将で常勝将軍といわれた坂上田村麻呂(758-811)の作で小栗観音と称し厄病、水難、火難、難産に対しては殊の外霊顕著しく仰日に新たなること皆のお守りの仏様として深く信心されていたものといわれています。
その後、源平の戦の時に源氏の大将・源頼朝(1147-1199)がこの観音様をお守りとして奉持して平家を追討中、この宇品島付近で見失われたものが後に漁夫の網にかかって海中から姿をあらわされ、この宇品島に安置し桂雲禅師がご本尊としてお寺を開かれたと伝えられています。 |
広島が生んだ横綱・安芸ノ海のお墓があるという(元宇品の)観音寺を訪ねてみようと思っていると話した時に、
交流ウォークの増田先生が訪ねた事があると云われましたので、ご一緒願えればと・・・宇品公民館主催の「みなとまち宇品散策」の案内役をされた後なら時間が取れるということでしたので、お疲れのところを案内していただきました。
現在の本堂は、庫裏を改築されているようで、本堂があったと思われるところは現在更地になったままでした。
安芸ノ海のお墓、広島椿は予習はしていましたが、原爆犠牲者鎮魂の観音像はお寺を訪ねた時(ご住職は不在でしたが)奥様にお話を伺い、本堂に上げさせていただきお参りさせていただきました。 |
※お寺の縁起は、ご住職の奥様にお聞きしました。 |
07.12.10裕・記編集 |
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