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安佐南区祇園に鎮座している「安神社」です。 |
旧称:祇園社 通称:お祇園(ぎおん)さん |
祭神:須佐之男命、稲田姫命(いなだひめのみこと)[左殿]、大己貴命(おおなむちのみこと)[右殿]
相殿神:伊邪那岐命、伊邪那美命、少彦名命、五男三女神※、大山咋命(おおやまくいのみこと) |
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正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命、天之菩卑能命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命
多紀理毘売命、市寸島比売命、多岐都比売命 |
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元の名を祇園社といい、武田山のふもとの松尾山(今の祇園中学校)に国家安全鎮護のために建てられました。1299(正安元)年6月13日(祭礼の日)厳島社司桜尾城主平員家が多数の軍勢を率いて参拝の群衆に紛れ込み、銀山城に押し寄せて戦になりました。その際、社殿など一切を焼失しましたが、幸いご神体のみが御旅所(現在地)に置かれていたので難を逃れました。1303(嘉永3)年武田氏によって現在地に本殿が再建されました。武田氏滅亡後は、1560(永禄3)年毛利元就(1497-1571)により本殿再建。1816(文化13)年浅野斎賢(なりかた:1773-1830)により社殿再建されてきました。
1873(明治6)年郷社となり、1910(明治13)年再び火災に遭い焼失しましたが、この時もご神体は難を免れ1913(大正2)年に神殿が再建されました。
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安神社が設置している「安神社境内之圖」の説明を読むと『(武田氏が滅んだ後大内氏の勢力範囲に入り)1541(天文10)年大内家より社領・拾貫文之地寄附、1566(永禄9)年毛利家より神田壹町五反半畝の寄附、福島家地面没収米拾八石寄附、浅野家より維新に至るまで同様の寄附あり、国主代々の祈願所であった。』と記述してあります。短い文章ですが、この地の移り変わりがわかる記述だな〜と思いました。 |
(わたしは)2008年より何度か参拝して、撮影して来ました。今(2013)年参拝した時、拝殿内部も撮影しましたので、画像を差替え、資料をみて相殿神などを加筆し、頁を更新しました。 |
13.04.06.更新 09.05.17裕・記編集 |