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三原市高坂町許山の佛通寺の「開山堂、含暉院地蔵堂、多宝塔」を取り上げました。 |
国重要文化財 佛通寺含暉院(がんきいん)地蔵堂1棟 付須弥壇1基 昭和24(1949)年4月18日指定 |
佛通寺は応永4(1397)年に小早川春平が愚中周及(ぐちゅうしゅうきゅう)を迎えて開いた臨済宗の大寺である。その後、火災によって創建当時の建物は今では禅師の塔頭(たっちゅう)含暉院の堂だけである。
地蔵堂は、応永13(1406)年の建築である(佛通禅寺住持記による)。様式は折衷様で桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、本瓦葺(もとは茅葺)で均整のとれた美しい室町時代の建物である。
含暉院地蔵堂の中央奥よりに縦2m、高さ1mの須弥壇(唐様)がある。
三原市教育委員会 |
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広島県教育委員会の資料には(上記の説明板以外で)次の事も記述がありました『内部に純禅宗様のすこぶる優秀な須弥壇を持つ、小規模な禅宗様の仏殿である。現在は内部に木造床が張り巡らされているが、もとは磚敷床(せんじきゆか)で柱間にもかなりの変更がなされているようである。』と。 |
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仏通寺境内をぐるっと拝観した後、前を流れる仏通寺川を再び駐車場に戻ろうとするときに開山道の石碑が目に入り、長そうな石段、たいぎいそうだなとチト思いましたが登って拝見したのが、開山堂や多宝塔でした。冬ではありましたが汗をふきながら、やはり拝見できるものは、観なくてはと思ったのでした。 |
2010年になって地蔵堂が国の重要文化財に指定されていることを知りましたので、説明板など記述を追記し再編集しました。 |
10.09.12再編集 05.03.19裕編集 |
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05.01.14撮影 |
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05.01.14撮影 |
地蔵堂(じぞうどう=地蔵菩薩をまつった堂)と開山堂 |
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05.01.14撮影 |
地蔵堂と(画像手前側)開山堂 |
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05.01.14撮影 |
開山堂(かいさんどう=寺院内にあって、開祖・開山の像や位牌を安置した建物) |
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仏通寺・多宝塔 |
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佛通寺多宝塔は2011年1月26日登録有形文化財(建造物)二と疎くされました。 |
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広島県教育委員会の資料によると
『境内の高台に建ち、間口・奥行とも4.3m、建築面積18u。
三間多宝塔、銅板葺で,縁高欄をめぐらす。軸部は和様を基調とし,組物は下層出組,上層四手先とする。蟇股等の細部に流麗な彫刻を施し、軒まわり部材に反りをもたせるなど整った塔姿をもつ近代の多宝塔。1927(昭和2)年建設。』とあります。
※実業家・山口玄洞(尾道市出身:1863-1937)が資金を提供したそうです。 |
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2019年12月30日中國新聞建物探訪という記事で、山口玄洞が建設資金を提供したという事でしたので、追記しました。 |
(たほうとう)多宝塔: |
釈迦・多宝の二仏を祀(まつ)る塔。「法華経(見宝塔品)」の説によるもの。
二重の構造をもつ宝塔で、初重は方形、二重の軸部は円筒形、屋根は方形。上下の連続部分は饅頭形(亀腹)となっている。 |
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19.12.30.更新 |
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05.01.14撮影 |

05.01.14撮影 |
広島県三原市高坂町許山30-1 |