(黄魂彦神社境内の)日露戦役戦死記念碑
  西区観音新町の黄魂彦神社に建立されている「日露戦役戦死記念碑」です。
凱旋碑の北側に建立されている記念碑です。
裏面を見れば日露戦争時に戦死された高橋芳太郎氏を弔って建立されたことが判りました。
改めて凱旋碑をみると凱旋された方々のお名前の中にはないのは戦死されたからでしょうが、その根際に、昭和13(1938)年に入隊された3人の方を記念して植樹碑が建っていました。
日本軍は、ロシア軍の拠点・奉天へ向けた大作戦を1905(明治38)年2月21日攻撃を開始、3月9日ロシア軍司令官クロパトキン大将は撤退を指示。日本軍は3月10日に奉天を占領したが、ロシア軍の撃破には失敗。一連の戦いで両軍とも大きな損害を受け作戦継続が困難となったため、その後は終戦まで四平街付近での対峙が続いたそうです。
昭和12(1937)年7月7日盧溝橋の攻撃:日中戦争突入
09.04.29更新     08.09.21裕・記編集

08.07.31.撮影
広島市西区観音新町1-17-39

09.01.10.撮影









 

































08.07.3.1撮影

08.07.31.撮影








にゅうえい
入營
=入営:軍務に就くために兵営にはいること。入隊。



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