(極楽寺) 一願堂
  廿日市市市原の極楽寺にある「一願堂」です。
一願和尚由来              別格本山 極楽寺
  一願堂の五輪塔の地中には極楽寺十色で有りました高野山真言宗大僧正・佐和隆恵師が遺言により法衣を付けられたお姿で入っておられます。
隆恵僧正は処所へ来て南無一願大和尚と唱え、一人一願だけ頼めば必ず成就すると云って他界されました。その後たくさんの人々が参拝しいつの日か一願幟りを建て祈願するようになりました。
亡き一願大和尚はかつて、自分の死後、仏となって一人に一つの願いを叶える即身仏になることを念じて自ら穀物を断ち、昭和33(1958)年法衣をまとったままの姿で入寂されました。
交流ウォークの増田先生とご一緒させていただいたのです。はじめて訪ねる極楽寺でした。駐車場から登って行きながら最初に出会ったお堂で「一願堂」の石柱が建っていましたのでお堂が一願堂と呼ばれること、また説明板で佐和隆恵大僧正のことを知りました。
 08.12.28裕・記編集

08.11.17撮影
廿日市市市原2180 極楽寺

08.11.17撮影
五輪塔の地中には大僧正・佐和隆恵師が入っておられます

08.11.17撮影
五輪塔前に堂宇が建っています

08.11.17撮影
(ごりんとう)
五輪塔:
密教で説く五大を表す五つの形から成る塔。
地輪(四角)・水輪(円)・火輪(三角)・風輪(半月形)・空輪(宝珠形)の順に積み上げる。各面に五大の種子(しゆじ)を刻む。平安中期以後、供養塔として用い、鎌倉以後、墓標として広く用いられた。五輪。五輪卒塔婆。法界塔(ほつかいとう)。
(だいそうじょう)
大僧正:
僧綱の一。僧官の最高位。745年、行基が初めて任ぜられた。
そうごう
僧綱
僧尼の統轄、諸大寺の管理・運営にあたる僧の役職。
日本では624年に始まり、律令制下で僧正(そうじよう)・僧都(そうず)・律師の三綱が定められ、別に法務・威儀師・従儀師を置いて補佐させた。
平安後期には形式化した。のちには各宗派の僧侶の身分として用いられるようになった。



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