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大竹市新町の青木神社境内に建立されている「(青木神社鎮座)紀念碑」です。 |
青木神社鎮座 紀念碑 |
国史聖武記に安芸周防二国大竹川を以って国境となすとあれど宝暦二(1752)年紛爭の端を発し堤防魚貝砂利採取等のことにて屡々大竹・和木村民の間に爭論起り犠牲者も出て尓来互に久しく相反目し爭ひ絶へざりしが享和元(1801)年両国の藩主立会の上河口中央斤鹵の地へ榜石を建て国境爭対の問題を解決せしため永年の紛爭も始めて和議河流の壅滞もなく郷人安堵を得たりといふ其後享和三(1803)年*正月吉祥日青木新開の守護神として猿田彦命を奉勧請し青木神社に祀る 宮司 所義彦 |
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*広島県神社誌には享和2年とあります |
昭和三十四年四月 建之 *昭和34年=1959年 |
建設世話人 寄附者:氏子中13名、宮司:所義彦 |
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(セキロ)
斤鹵: |
塩気のある土地 |
(ボウ9
榜: |
1.フダ。おふれを書くふだ。掲示版。榜札。榜牌。2.かかげる。掲示する。3.むち。4.むちうつ。5.ユダメ、弓の曲りをなおすもの。6.こぐ。舟を進める。 |
(ヨウタイ)
壅滞: |
←雍滞。渋滞。
1.ふさがって自由に動かない。2.物事がはかどらない。 |
(ジライ)
尓(爾)来: |
1.以来。それからこのかた。そのとき以来。 |
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ここ青木神社の鎮座(由緒)を碑裏面に刻んである記念碑です。
神社説明板の代わりになるというか本来のもので貴重な記念碑ですが、碑裏面を見るのに玉垣を乗り越えなければならなかったのはチト残念でした。しかし考えるに、昔は境内が広くこの紀念碑も余裕がある処に建立されていたが、小瀬川の改修工事で境内がせまくなり、今のように狭苦しい処に移されたのかなと思ったりしました。 |
11.08.08裕・記編集 |