(三瀧寺)鐘楼

  西区三滝山の三滝寺に建てられている「(三瀧寺)鐘楼」です。
1826(文政9)年明憚(みょうぜん)師が1884(明治17)年に死去するまでの60年間に、鎮守堂、鐘楼の建立に努めたそうです。
(しかし、度重なる土石流で記録・資料が紛失したため詳しくはわからないそうです)。
その後、大正時代の大水害で流失したりしましたが、再建されたそうで、この鐘楼は、被爆した建物です。
梵鐘は、戦時中に供出され、現在の鐘は敗戦後すぐに鋳造されたものだそうです。
広島市国際平和推進部の被爆建物リストによると三瀧寺ではこの鐘楼のほか、想親観音堂、稲荷社、三鬼権現堂、鎮守堂が被爆建物として爆心地より3180mと記述がありますが、ヒロシマの被爆建造物は語るでは稲荷社3180m〜鎮守堂3300mとあります。
08.01.19裕・記編集

07.12.08.撮影
広島市西区三瀧山411 三滝寺

07.12.08.撮影

07.12.08.撮影

08.01.16.撮影

08.01.16.撮影



「三瀧寺附近」編・全体



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