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西区己斐のまちからみあげた「平原城跡」です。 |
己斐古(こい・ふる)城と呼ばれる岩原城と一対をなしています。
茶臼山(200m)全体を城郭とし、山頂部を本丸、南が大手(玄関に相当)、北が搦手(裏口に相当)、西に二の丸、下段部は東西南北の四隅に城郭が残されています。
天文3(1534)年城主己斐豊後守直之(師道の嫡子)は時の武田勢に及ばぬを悟り退散しました。この後、鉄砲の普及に伴いこの小さな城では山のふもとからでも攻撃されるため、廃城となりましたが、現在も堅固なとりでは残っています。広島市立己斐東小学校西門への登り石段を中仕切りされたものが茶臼山登山道入口となっています。同小学校の裏側山道を登ると山頂へ至ります。 |
くるわ
曲輪;郭;廓 |
1)城壁や堀、自然の崖や川などで仕切った城・館内の区画。
{ 2)周囲を囲いで限られ、遊女屋が集まっている地帯。遊郭。遊里。さと。} |
かく
郭 |
1)城、とりで、都などのかこい。くるわ。 |
とりで
砦;塁;寨 |
1)本城から離れて設けられた小さい城。規模の小さい城。
2)外敵を防ぐために築造した建造物。要塞。 |
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交流ウォークで岩原城跡に立ち寄ったときに平原城(己斐新城)のことも教えていただいたのですが、己斐東観音堂までは訪ねたのですが、平原城跡に今も残るという城郭跡などを訪ねるのは今後の楽しみにしました。 |
2010年になりましたが、己斐東小学校根際の茶臼山登山口より、平原城跡(茶臼山)をめざして上りました、たかだか200mの山だと思っていたのですが、身体を鍛えていないわたしにはきついものでした。
上り口から本丸跡、二の丸跡などを撮影しましたので、この頁は「己斐の街から見た平原城跡」と改題し「平原城跡・概説」の頁にリンクさせました。 |
平原城跡の資料は広島市の資料を参考にしました |
10.07.0606更新 06.10.22裕・記編集 |
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