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安佐南区西原8丁目を流れる八木用水を取り上げました。 |
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西原9丁目・西原8丁目の境から西原8丁目・西原6丁目の境まで、西原8丁目を流れる八木用水をみながら歩きました。この区間では暗渠になった部分もみました。 |
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八木用水を(わたしが)興味をもったのは、勝想寺に葬られている卯之助のお墓を訪ねたことからです。
そこから八木用水のことを知り、定用水碑、八木隧道、太田川発電所、安川との交差部等を訪ねたのですが、今の八木用水を全部歩いてみることから何か気付くことがあるのではと思ったのです。 |
開削当時約四里といわれていた八木用水(現在は旧楠木村、旧打越村はにはなく長束までなので、短くなっています)をそれなりの時間をかければ、一日で踏破できる距離なのでしょうが、体力不足のわたしは何度かに分けて歩いてみることにしたのです。 |
今(2010年9月16日)回は、古市1丁目の安佐南区役所附近から長束1丁目の八木用水が東西に分かれるところまでを(わたしの体力でも)いっきに踏破できたのですが、前回帰宅時アストラムラインに乗った時に祇園新町駅広場に野外彫刻が設置されているのを車内からみましたので、西原4丁目から祇園新町駅に行ってみることにしました。(ので、西原4丁目から長束1丁目東西分岐のところまでが残りました。=次回歩いてみることにしました。) |
この頁で取り上げた部分の用水路では、卯之助がこの用水へかけた一番の思い、農業用水を供給するという本来の思いが実ったと思った場所、「頭を垂れた稲」をみた処でした。
(いまは)ほぼ全域コンクリート製の用水路側壁でしたが、一部玉石積みの側壁をみました。
また、八木用水に並行する汚水路の補修工事?を施工している型枠が組立てられている所もみました。
この区画でも流れる水量もそれなりのように感じ、八木用水ではそれなりの流れの速さがあるからか(わたしが気が付かなかったからかもしれませんが)八木用水本体ではみなかったアメンボウを(分かれた)水路で、みましたので、撮影しました。 |
10.10.11裕・記編集 |