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廿日市市地御前の地御前神社に建立されている「皇威輝八紘・碑」です。 |
地御前村戦役記念碑、明治二十七・八(1894・1895)年戰役(日清戰争)、明治三十三(1900)年事変(北清事変)、明治三十七八(1904・1905)年戰役(日露戰争)に出陣し命を落とされた村民のお名前が刻まれています。
大正2(1913)年建立されたものです。 |
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“皇威八紘ニ輝ヤク”と読み下すのでしょう。
皇威(こうい)天皇の威光。輝(き)かがやく。八紘(はっこう)八方、全世界。 |
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この記念碑をみる前に、金剛寺墓地で戦後建立の(廿日市地御前)戦没者慰霊碑を拝見していましたが、
この碑の八紘(一宇:はっこういちう=全世界を一つの家にする)をみたとき、第二次世界大戦時、日本が海外侵略を正当化する標語として用いた言葉が刻まれた碑を残しておくことの大切さをわたしは思うのです。
日本が戦争をはじめたことで近隣諸国の人々も巻込み多くの犠牲者をだしたことを、そして自国民の多くの方々が犠牲になったことで、今日の平和な日本の礎になったということを考えることができるのではと思うからなのです。 |
07.11.17裕・記編集 |
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関連頁:(廿日市地御前)戦没者慰霊碑 |
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07.10.20.撮影 |
廿日市市地御前5-11 (地御前神社根際) |
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07.09.04.撮影 |
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皇威輝八紘 |
陸軍大将伯爵寺内正毅書 |
大正2(1913)年11月建立地御前村 |
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(てらうちまさたけ)
寺内正毅:
(1852-1919) |
政治家。陸軍大将(1906)・元帥(1916)。長州藩出身。
第一次桂内閣に入閣、以後陸相を歴任。1910(明治43)年初代朝鮮総督。1911(明治44)年4月伯爵。1916(大正5)年組閣して、シベリア出兵を断行、世論の批判を受け、米騒動により総辞職した。 |
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