後白河法皇御行幸松(遺木)

  「後白河法皇承安四(1174)年御行幸松」
後白河法皇承安四(1174)年3月行幸のときお手植えされた松が枯れその一部が展示されています。
承安4(1174)3月16日後白河院は、平滋子(高倉天皇の生母:1142-1176)を伴って厳島神社に参詣するため京都を出発、福原を経由して3月26日に到着したそうです。
後白河天皇(ごしらかわてんのう:1127-1192)
第77代天皇(在位は1155-1158)。名は雅仁(まさひと)。鳥羽天皇(第74代:1103-1156)の第四皇子。即位の際、崇徳上皇(第75代:1119-1164)と対立、保元の乱を生じた。
二条天皇 (第78代:1143-1165)に譲位後、五代にわたって院政をおこない、平氏政権から鎌倉幕府権力の確立に至る変革期にあって朝廷権威の存続を巧みにはかった。
1169(嘉応元)年出家して法皇となり、造寺・造仏に尽くした。また、今様(いまよう)を好み「梁塵秘抄(りようじんひしよう)」を撰した。
厳島神社へのお参りが終わり西廻廊から出て御手洗川沿いに桟橋の方へ帰っていくときに本殿裏辺りにこの松が展示されています、何度となくみていましたので、後白河法皇お手植えの松で、触ればご利益がありますと云っているガイドさんの説明を何度か聞いたことがありましたが、撮影したのは、交流ウォーク下見に来た今(2007)年10月がはじめてでした。
2015年訪ねた時オヤ〜と思ったのです。目が悪くなってきている最近ですが、網が取り付けられていたのです。
近年の危機管理意識の高まりで、この遺木に悪さをする人物が出ないとも限らないことからでしょうが、自由に触り遺木が発する幸運の気を受け取ることが出来なくなったな〜と思いましたので、撮影しました。
 15.01.26更新   07.11.20裕・記編集

15.01.03.撮影
広島県廿日市市宮島町1-1 (厳島神社本殿裏の通り)

07.12.15撮影
2007年当時はまだ網が無かった遺木を納めている建屋(小屋)でした

07.11.17撮影

07.11.03撮影
後白河法皇承安四(1174)年3月行幸のときお手植えされた松が枯れその一部が展示されています

07.11.17撮影



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