玖波隧道

  大竹市玖波3に造られている「玖波隧道」です。
大竹市歴史研究会の資料によると
『1873(明治6)年に広島・大竹間の新道として建設が進み、幾多の難所を経て海岸沿いの国道が完成したのは1880(明治13)年でした。その後、1827(昭和2)年に拡張工事が行われました。』のがいまの玖波隧道だそうです。
大竹市中央公民館前に移設されている「壹里標」の説明板を読めば
『江戸時代の西国街道は、(大竹)市内に入り、鉾の峠・馬だめし・苦の坂などと、山坂の多い難路でしたが、 明治維新後、街道を平坦な海岸沿いに移す計画が浮上。
廿日市〜大竹間の工事は、小方の和田吉左衛門氏の采配のもと、その費用の大半を地元で負担して明治13(1880)年に完成しました。』とありますので、現在の玖波隧道上付近の「馬だめし(峠)」が廃止になり、新道※が設置されたものと思われますが、其れが隧道だったかは(いまのわたしには)分かりません。
しかし、広島県地名大辞典をみると「昭和11(1936)年玖波隧道が完成」とありますので、現在の玖波隧道で、人、車の通行は至極便利になったことでしょうね。現在の国道2号線は、この隧道を利用することなくさらに海岸寄りに通っています。
廿日市側からみると隧道入口付近をみると以前は急坂で新道がつくられていたのかなと思ったので、(下に掲載の)この付近地図に点線で入れてみたのですが。
50mにも満たない短いトンネルですが、このトンネルが出来た事で、広島方面と大竹地区の繋がりが便利になったのでしょうね。いまは、海側が埋められ平面で通っている(国道2号線)道路がありますので、この隧道は、旧道にひっそりとたたずんでいるようでした。
 11.09.09裕・記編集

11.06.02撮影
広島県大竹市玖波3-12付近 玖波隧道

11.06.02撮影
玖波祝側からみました

11.06.02撮影

11.06.02撮影
昭和11(1936)年完成したと云う玖波隧道銘板は(当時の習慣)右から綴っていますね

11.06.02撮影
現在の国道2号線と玖波隧道

11.06.02撮影
唐船浜・潮待崎はむかし唐船が着岸し潮待ちした処から付けられたそうです。



「建物」編



広島ぶらり散歩へ
(旧西国街道)玖波宿
玖波本陣(洪量館)跡
(玖波宿)高札場跡と角屋釣井
(玖波)角屋釣井の手押しポンプ
(玖波)延命地蔵尊
玖波隧道


「大竹市」編


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送