(舞鶴引揚記念公園の)異国の丘・岸壁の母の歌碑

  京都府舞鶴市字平の舞鶴引揚記念公園に建立されている「異国の丘・歌碑」「岸壁の母の歌碑」です。





















































































































待っ





































(また引揚船が帰って来たに、今度もあの子は帰らない・・・この岸壁で待っているわしの姿が見えんのか・・・港の名前は舞鶴なのに何故飛んで来てはくれぬのじゃ・・・。帰れないなら大きな声で・・・お願い・・・せめて、せめて一言・・・)
二、
呼んで下さい おがみます あゝおっ母さん よく来たと 海山千里と 云うけれど 何で遠かろ 何で遠かろ 母と子に
三、
悲願十年 この祈り 神様だけが 知っている 流れる雲より 風よりも つらいさだめの つらいさだめの 杖ひとつ
二、
今日も更けゆく異国の丘に 夢も寒かろ冷たかろ 泣いて笑うて歌って耐えりゃ 望む日が来る朝が来る

三、
今日も昨日も異国の丘に 重い雪空日がうすい 倒れちゃならない祖国の土に たどりつくまでその日まで
異国の丘・岸壁の母の歌碑     昭和53(1978)年11月建立  舞鶴市
岸壁の母(がんぺきのはは)とは、ソ連による抑留から開放され、引揚船で帰ってくる息子の帰りを待つ母親をマスコミ等が取り上げた呼称で、流行歌、映画「岸壁の母」のモデルとなったのは、端野いせという名の女性ということだそうです。。
異国の丘(いこくのおか)はシベリア抑留の兵士の間で歌われていた歌謡曲。
この頁を編集するまでは「岸壁の母」といえば二葉百合子(1931 -    )が歌って1974(昭和49)年に台詞入りで大ヒットした歌と(わたしは)思っていたのです。しかし、はじめて歌いヒットさせたのは菊池章子(1924-2002)で1954(昭和29)年だったことを知りました。
敬称は略しました 09.06.13裕・記編集

06.08.11撮影
京都府舞鶴市字平 引揚記念公園(望郷慰霊之碑、ああ母なる国の碑、異国の丘・岸壁の母の歌碑)

06.08.11撮影



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