(旧第一検疫所)弾薬庫への通路跡

  南区似島町長谷地区に残る「弾薬庫への通路」です。
1919(大正8)年皆実町の陸軍弾薬庫が事故を起こしたため移設されることになり(現在の似島学園南側に)設置されました。
弾薬庫は周囲を土塁で固め樹木でカモフラージュして弾薬庫の倉庫などを建てたそうで、その弾薬庫に弾薬などの物資を運び込む為の通路が残っています。
通路の中にはトロッコの線路跡も残っているものもあります。
トロッコレールは、桟橋から(現在の似島学園を通り)弾薬庫の中に敷かれていたそうで、数年前までは一部残っていたそうです。
弾薬庫の建物などが数年前まで残されていたそうですが、現在撤去されているという事で、2009年の時は土塁の外側だけを見ていましたが、2010年になって通路跡を等を見てみましたので、この頁を編集しました。
10.05.17.裕・記編集

09.03.07.撮影
広島市南区似島町長谷  似島学園南側に残る弾薬庫土塁の外側 

09.03.07.撮影

09.03.07.撮影
 土塁内部に物資を搬入する土塁をくりぬいた通路

10.02.09.撮影
通路部分

10.02.09.撮影
トロッコレール跡

10.02.09.撮影

10.02.09.撮影
この通路跡は、草ぼうぼうでしたがレール跡は無いようでした 土塁外側の溝部分

10.02.09.撮影
土塁内部の構築物(何の構築物かはわたしには分かりませんでした)



軍都・廣島関連施設戦跡」編



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