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南区似島町の長谷地区に残る「弾薬庫の歩哨所跡」です。 |
1919(大正8)年皆実町の陸軍弾薬庫が事故を起こしたため移設されることになり(現在の似島学園南側に)設置されました。
弾薬庫は周囲を土塁で固め樹木でカモフラージュして弾薬庫の倉庫などを建てたそうで、その弾薬庫周辺を監視するための「見張り台」がいくつか造られていたそうです。RC造で人ひとりがやっと入れるほどの工作物です。 |
冊子「ふるさと似島」をみると現在2カ所残されているとありました。小谷の落書きがある歩哨所跡は2009年似島学園の先生に場所を教えていただき撮影し頁を編集していましたが、2カ所目がわからず、2010年2月似島学園の事務室に行って居られた事務員の方に伺ったのですが分からないとのことでしたのであきらめようかと思っていたのです。3月に行った時に探し当てたのが、ここに取り上げた2カ所目の歩哨所跡でした。 |
この歩哨所には落書きはありませんでした。すぐには分からない位置だったからでしょうが、「小谷」と落書きをした人物は、その行為の恥を知って落書きを消しに来る事もなく、各種資料に落書きが写っていますが、こちらは落書き被害もなく昔のまま現在も残されています。 |
10.05.15.裕・記編集 |