(船越迫の)岩瀧神社

  安芸区船越に鎮座している「岩瀧神社」です。
御祭神 相殿




































戦前、社格町社でした。
 当岩瀧神社は、人皇第五十三代淳和帝の御代(826年)すでに花都の森に八幡宮竹浦の畔地の森に新宮社、西の天王開地に祇園社が氏子の守護神として奉祀されていました。この三社の神事を中心に氏子の農耕殖産漁業によって生活の基礎が進められてきました。明暦2(1656)年丙申2月15日時の神主渡辺大和守保正が御神託により三社の御祭神を合祀して岩瀧八幡宮と改め氏子万民と共に盛大な御遷座祭が齋行され国家安泰、家内安全、五穀豊穣など明神に加護を祈りました。なお国守職、棚守職、勅使田所氏の尊崇篤く国守毛利氏より社領を付されました。この他神儒学者植田艮背を始め、藩士藩儒氏子万民に霊験あらたかで神威明照御神徳高く尊崇篤き神社です。
岩瀧神社由緒略記
1889(明治22)年4月1日市町村制施行時、安芸郡船越村発足。
1928(昭和3)年11月1日船越村が町制施行して安芸郡船越町となりました。
1975(昭和50)年3月20日広島市に編入されました。
安芸区発行「あきく魅力まっぷ」をみて船越町・大歳神社に盃状穴がある手水鉢があると知って訪ねてみようと思っていたのです。まっぷをみるとこの岩瀧神社もわざわざ旧字・瀧で紹介があるので訪ねてみようと思ったのです。
大歳神社を訪ねた後にこの岩瀧神社を訪ねましたが、こちらが(旧社格)町社で、大歳神社はこの岩滝神社の末社でした。社殿も大きく、立派な神楽殿が建っていました。石段前に置かれている手水鉢に盃状穴がありました。
再度訪ねたときは、旧道から急な坂道を自転車を押しながら上った参道脇に大きな忠魂碑が建立されており、大汗をかいたわたしを何よりも喜ばしてくれたのが、圓鍔勝三作の桧山袖四郎像でした。
06.06.20裕・記編集

08.05.08.撮影
広島市安芸区船越4丁目13−1

08.05.08.撮影
社殿

08.05.08.撮影
拝殿から本殿をみました

08.05.08.撮影
社殿の横の神楽殿



「広島の神社寺院」編



広島ぶらり散歩へ
岩瀧神社
(岩瀧神社手水鉢)盃状穴
(境内の)寺尾友次翁治水功績碑
(境内の)竹浦林道完成記念碑
(境内の)奉獻神輿姓名記
(境内の)忠魂碑
(境内の)圓鍔勝三作品:桧山像
(境内の)井上桂園書:桧山像碑文





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