御祭神 |
相殿 |
伊
邪
那
岐
神
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帯
中
津
日
子
命
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息
長
帯
媛
命
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品
陀
和
気
命
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素
佐
之
男
命
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当岩瀧神社は、人皇第五十三代淳和帝の御代(826年)すでに花都の森に八幡宮竹浦の畔地の森に新宮社、西の天王開地に祇園社が氏子の守護神として奉祀されていました。この三社の神事を中心に氏子の農耕殖産漁業によって生活の基礎が進められてきました。明暦2(1656)年丙申2月15日時の神主渡辺大和守保正が御神託により三社の御祭神を合祀して岩瀧八幡宮と改め氏子万民と共に盛大な御遷座祭が齋行され国家安泰、家内安全、五穀豊穣など明神に加護を祈りました。なお国守職、棚守職、勅使田所氏の尊崇篤く国守毛利氏より社領を付されました。この他神儒学者植田艮背を始め、藩士藩儒氏子万民に霊験あらたかで神威明照御神徳高く尊崇篤き神社です。 |
岩瀧神社由緒略記 |
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