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廿日市市宮内の宮内天王社に安置されている「神鴉の石」です。 |
神鴉(おがらすorこがらす)伝説 |
推古天皇元(593)年厳島神社の祭神・市杵島姫命は、地元豪族・佐伯鞍職に命じ神社を建てる場所を探し、その先導役を務めた雌雄二羽の鴉(からす)がおり宮島の廻り巡り現在地が選ばれ厳島神社が建てられたと伝えられています。立寄った浦々には神社が祀られ、この鴉の子孫は神鴉と呼ばれており、毎年ひと番(つがい)の雛鳥を育てながら弥山の山中に今も生き続けていると云われています。
厳島神社の御島巡式(おしまめぐりしき)と御鳥喰式(おとぐいしき)はこの故事に由来しています。
秋になると親子四羽の神鴉は対岸の大野に渡り、大頭(おおがしら)神社で親子の別れ(四鳥:しちょう:の別れ)を行い、二羽の子鴉は厳島に帰り、二羽の親鴉は廿日市の速谷(はやたに)神社で羽を休めた後、紀伊国(現・和歌山県)の熊野を目指して飛んでいくと語り継がれています。 |
※神鴉の伝承は廿日市市の資料を参考にしました。593年となっていますが端正5(597)年という話もあります。 |
厳島神社関連の頁を編集していたときに御島巡り、神鴉のことなどのことを知りましたが、神鴉にまつわるこの伝説は知りませんでした。
今(2008年)回みた、宮内天王社に祀られている「神鴉の石」との関連はわかりませんが、二羽の親鴉が熊野に飛び立っていく時に立寄りこの岩で旅の無事と子鴉の健勝を祈った?などと思ったりしましたが、高いところを好む鳥がこんなに低い岩にとおもいました、眉に唾付ける話しか想像できませんでした。 |
08.10.25裕・記編集 |