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安芸郡府中町宮の町の多家神社に建立されている「神武天皇東征御留蹕霊地」碑です。 |
多家神社は神武天皇御留蹕霊地で、神武天皇は紀元前7年の12月27日に、安芸の埃宮即ち当神社の下に御着船になり神社境内地の誰曽廼森に上陸せらたと伝えられていることからこの碑が1910(明治43)年になって建立されたそうです。 |
「たれその森」は神武天皇が当地のものに「曽は誰そ」とお尋ねになったと伝えられることからその名がついたそうです。 |
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神武天皇東征の折り瀬戸内海の難所・周防灘を抜けたカムヤマトイハレビコノミコト(神武天皇)、
古事記は『阿岐国の多祁理宮(たけりのみや)に七年坐(いま)す』とあり、
日本書紀には『安芸国に至り埃宮(えのみや)に居(ま)します』とあります。
記紀で宮の名前が一致せず、滞在期間も古事記は7年、日本書紀は2ヶ月余りと大きく違っています。
しかし、多祁理宮と埃宮は同一で、現在の多家神社(安芸郡府中町)と考えられています。小高い丘の上に広がる境内にはかつて松がうっそうと茂り、「誰曽廼森(たれそのもり)」と呼ばれたそうです。
多家神社は、神武天皇とともに安芸国の開祖・安芸津彦命が主祭神です。 |
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碑に刻まれている蹕(ヒツ)とは、天子の行幸のことです。例文:天子のお車「駐蹕」「鳳蹕」。 |
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2006年この石碑をみてそれとなく意味はわかったのですが「蹕」の字をわたしは知らなかったのです。帰宅後漢和辞典を引くと「ヒツ」と読むようで(3)に天子の行幸とあり、用例もありました。
資料は多家神社で頂いた由来書ほかを参考にしました。 |
06.06.29裕・記編集 |