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旧陸軍第二検疫所があったこの辺りでは一番大きなクスノキで、樹齢は100年を超えておりここで在った戦争にまつわる出来事をみてきたということで「くすの木じいさんの話」(下記)が語られるようになっています。
1945(昭和20)年8月6日原爆で傷ついた人々が市内から船で運ばれ、この施設でも救護がなされましたが多くの方々が亡くなっていった地ということでもみてきたクスノキでもあります。 |
くすの木じいさんの話 |
ふるさと似島編集委員会発行(編集責任者:浜本義幸氏)「ふるさと似島」などを参考にして広島ぶらり散歩「似島」編の各頁を編集しています。この冊子の表紙の裏に「くすの木じいさんの話」が書かれています。
わたしはこのクスノキに呼び掛けていませんので再び訪ね呼びかけなくてはと思っています。この話には、平和の願いが込められていますので、「平和祈念碑など」編の一頁として加えようと編集しました。 |
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連絡船の中で「ふるさと似島」@500円/1冊で売っていることに帰りの時に気が付き購入しましたので、2009年3月似島を訪ねた時は、このクスノキに声を掛けていませんでした。2010年になりましたが訪ねました。 |
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2010年2月9日似島を再び訪ねた時、この「くすの木じいさんの木」をみて声を掛けなくてはと思っていましたので、少年自然の家でこのクスノキの場所を教えていただき立寄りました。説明板がありますのですぐわかりますよと教えていただきました。その辺りには説明板を付ける立札はクスノキの前に建っていましたが 、説明文は無くなっていました。しかし、この周辺ではこのクスノキが一番大きいようでしたので、あなたがくすのき爺さんですよね!と声を掛け、平和を願う一人の人間として、このクスノキを撮影し頁を編集しました。 |
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10.02.09撮影 |
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2015年久しぶりに似島を訪ねましたので、ここ広島市似島臨海少年自然の家敷地のこのクスノキもみて撮影しました。以前はなかった説明文が貼り出されていましたので、ここを訪れることも達にも「くすの木じいさんの話」のクスノキとすぐわかるようになっていました。 |
15.10.26.更新 10.03.19.裕・記編集 |