(福王寺)原爆聖靈供養寶塔

  安佐北区可部町綾ヶ谷の福王寺の大師堂前に建立されている「(福王寺)原爆聖霊供養宝塔」です。
     正面:原爆聖靈供養寶塔      
     裏面:同一性故入■字(どういっしょうこにゅうあじ)   ■≒阿
     側面:南無大師遍照金剛(へんじょうこんごう)尊    
     側面:昭和四十六(1971)年八月六日建之
           *広島市の資料によると、1963(昭和38)年に木碑が建立され、
                        1971(昭和46)年にいまの石碑を服部静子さんが建立されたそうです。
広島原爆戦災誌に可部町に関しての記述の一部に、次のようにあります。
・・・(昭和20年)六日午前九時ごろ、全身黒く汚れ、火傷で火ぶくれとなり、たくさん血を流した裸同然の避難者が、広島市から可部街道を伝って殺到しはじめた。衣服はボロぎれのように裂けて焦げていたし、頭髪は乱れ、裸足のままの姿であった。避難者はみんな呆然自失のありさまで、ゾロゾロと力なく歩いて来た。
男も女も判別しがたい無残な形相であったが、中には顔面・背・手など露出部に直接閃光を受けたと思われる部分は、いちように火傷し、何かの蔭になっていたと思われる部分は火傷していなかった。ひどい負傷で、腕がぶら下っている人も歩いて来た。初めのうちは軽傷者が多く、徒歩で逃げのびて来たが、午後二時ごろから重傷の兵隊や市民がトラックや荷馬車によって、はこばれて来はじめた。避難者は九日の昼すぎごろまで続いたが、これらは次のように収容された。死亡者も続々と出て火葬にされた。
』とあり、福王寺がある亀山村関連のみをここでは取り上げました。
収容所名 所在地 開設月日 収容者数 死体埋火葬数 埋・火葬場所 閉鎖月日
亀山国民学校 亀山村 8月6日 150 37 原ケ迫火葬場 昭和20年10月下旬
亀山農協 亀山村 8月6日 20 6 原ヶ迫火葬場 昭和20年10月下旬
福王寺大師堂前の「金堂再建記念碑」の根際に建つ塔婆状の小さな碑に目が行きました。
碑銘をみると「原爆聖靈供養寶塔」と読め、『原爆関連慰霊碑巡り』編に加えようと、梵字は(わたしには)読めませんが、漢字はと各面をみました。直接的な碑文がありませんでしたので、被爆当時亀山村だったこの福王寺ということで、広島原爆戦災誌の可部町の亀山村に関する記述をみてみました(上記)。
この宝塔の建立由来は(わたしには)わかりませんが、真言宗・宗徒の方(方々)が、この地区で亡くなった方々を含め原爆犠牲者の供養という大きな立場からこの福王寺に建立されたと考えるられるのではないかと思いましたが。
11.01.22.裕・記編集

10.10.22.撮影
広島市安佐北区可部町綾ヶ谷251   (福王寺大師堂前)

10.10.22.撮影



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