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安佐北区可部町綾ヶ谷の福王寺の「阿弥陀堂、鐘楼」をこの頁で取り上げました。 |
阿弥陀堂は、1851(嘉永4年)再建だそうで、左右廻廊で金堂、客殿に至ります。
阿弥陀如来を安置しています。 |
現在の境内図で阿弥陀堂ということがわかりましたが、文政年間(1818-1830)の境内図をみると方丈となっていますので、嘉永4(1851)年再建された時に阿弥陀堂という名称になったのだろうと(わたしは)思いました。
阿弥陀堂の木鼻や虹梁上の彫刻をみていた時に(梁上に、堂名)額が掛かっていました。漢字苦手のわたしですが、阿弥陀堂とは読めないし方丈でもないな〜何と書いてあるのだろうと思ったのです。 |
(あみだどう)
阿弥陀堂: |
1)阿弥陀仏を本尊として安置する堂。 |
(ほうじょう)
方丈: |
1) 1辺が1丈(約3メートル)の正方形。1丈四方。また、その広さの部屋。「―の間(ま)」
2) 維摩(ゆいま)経の主人公である維摩の、1丈四方の居室。
転じて、禅寺で、住職の居室。寺の住持。また、住職の称。 |
(ゆいま)
維摩: |
(梵語)「維摩詰(ゆいまきつ)」の略。浄名(じょうみょう)・無垢(むく)称と訳す。
維摩経の主人公として設定された架空の人物。古代インド毘舎離(びさり)城の長者で、学識にすぐれた在家信者とされる。病気の際、その方丈の居室に、釈迦の弟子を代表して文殊菩薩が訪れたとされる。 |
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帰宅後、方丈を辞書で引くと「維摩」という言葉がありましたので、撮影した画像をみました、達筆すぎる筆使いですが、「維摩」と無理無理読めないかな〜と思ったのですが、違うな〜とも思うのです。最後が「堂」だなと思うのですが、ご存じの方はご教授願えればとお願いいたします。 |
11.01.25.裕・記編集 |